そもそも身体感覚の鈍い人とは(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)

2019年10月19日

ところで精神科薬物療法は、単に患者の表層的な精神症状のコントロールを司るだけのものではない。精神科医は投薬を行う過程で、治療をうまく機能させるような良き「官能的評価」を患者から炙りだしていく。オーケストラにおいてもいい”音”があるように、「官能的評価」にも、治療をうまく機能させるような良き「官能的評価」と、そうでないものがある。そしてその過程で、患者の身体を耕し、適正な身体感覚を醸成することを狙うのでなくてはならない。うまくいけば、患者がひとまず精神状態の収まりを見せた後も、心身の悪化を最小限に食い止める術を、恒久的に身につけることができる。すなわち、精神疾患の寛解過程を経験するなかで、患者はこの疾患の再燃を未然に防げる”強い身体”へと変わり身を果たせるかもしれないのだ。

ではそもそもどのような人が、適正な身体感覚を持ち合わせていない人(すなわち、身体感覚の鈍い人)なのか。彼らは皆、身体の発するパルスの感受に問題がある。ただ各々の精神疾患により、若干その特徴が異なる。

過食症や嗜癖(快楽が伴う癖)では、ある種の観念が先行・暴走している。「こうありたい」「こうあらねば」という願望・強迫志向が強すぎて、かつてあったであろう身体のホメオスタシスがどういうものであるのか、最早分からなくなってしまっている。その結果、身体は観念の”道具”に成り下がってしまっている。そのため、身体の”実在”を再確認することがその治療目標となる。

心気症では、通常ありえない薬物の”副作用”がたてつづけに表現される。まったく同じ量の薬物が投与されていても、時と場合により効果に大きな差異があり、その身体における一定の傾向が読み取れない。症状の現れ方も時々刻々変遷し、一貫性を欠く。「大きな病気をして死んでしまうかもしれない」という不安・恐怖に常に圧倒され、身体の発する極めて微細なパルスにも過敏に反応し、その意味を誇大に解釈してしまっている。老病死を諦念をもって受容できるようになることが、長期の治療目標である。

パニック障害(や、その他心身症と呼ばれるいくつかのもの)では、突然前触れもなく、激しい自覚症状が出現することが多い。持続的に発せられているパルスでも、相当大きく患者の実存を脅かすほどのものでなければ、感受できなくなっている。「身体が私の言うことを聞かず、急に暴れ出した」と憤慨するケースも数多くある。しかし逆に、患者がこれまでに自らの身体に与えてきた”ひどい仕打ち”に気づき、身体が自らの横暴に耐えてきてくれたことへの”感謝・慈しみ”が芽生えるようになると、おのずと身体感覚が立ち現れ、急激に状況が改善することも少なくない。

 熊木徹夫(あいち熊木クリニック<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>:TEL: 0561-75-5707: https://www.dr-kumaki.net/ )

<※参考>

良き「官能的評価」がもたらされるための条件(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)

”主客”の共鳴から生まれる「官能的評価」(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)

”服み心地”と「官能的評価」の違い(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)

『精神科薬物の官能的評価 〜精神科医と患者、主観の架け橋〜』 

「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~

実際臨床における「官能的評価」の炙りだし方

特報(7) 『精神科のくすりを語ろう・その2』おたよりメールのご紹介。~官能的評価は<生きのいい魚>~

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