KY(空気が読めない)とは

2019年10月16日

KY(空気よめない)と、もうひとつのKY(空気を読みすぎる)が混在するのはなぜか|チック症・発達障害の生きづらさ

先に、重症チック症・トゥレット障害の薬物療法について書きました。
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このようなチックの頻発を招く人は、「発達障害」にカテゴライズされる人が多いといえます。
ではなぜ、チック症と発達障害は関連が深いのか。
今回は、そこから話を起こしてみたいと思います。

まず、なぜチックの頻発を招く人が存在するのか。
それは、ひと言でいうと、「脳がとてもデリケートだから」です。
すなわち、チックを起こさない人の脳(「一般脳」と仮称します)を”アンテナ1本”に例えるなら、チックを誘発しやすい人の脳(「チック脳」と仮称します)は”アンテナ3-5本”といった具合に、随分と感度が違うのです。

例えば、猥雑なパーティー会場で、知り合いと会って、会話をするとします。
一般脳の方なら、どれほど回りの人々がガヤガヤうるさくしていても、眼前のお相手の話にだけ、耳をそばだてて、その声を聴き取ることができます。
これはすなわち、雑音をシャットアウトして、聴くべき音声に適確にチューニングすることができるということです。
これを「カクテルパーティー効果(cocktail-party effect)」といいます。

それに対し、チック脳の方は、このチューニングが非常に苦手です。
あらゆる音が、無差別に、同レベルで感受されるため、意中の相手との会話が成立しなくなりがちです。
また、物静かな場所でも、遠くのかすかな犬の鳴き声に反応し、ビクッとなることもあります。
まわりの一般脳の人は、その様子を見て、「ああ、犬が鳴いているんだな」と気づくのです。

このような感度の高さは、か弱い草食動物に備わっている能力です。
例えば、うさぎを観察するとよく分かります。
うさぎは、何かかすかな音を感じると、上半身を立たせ、長い耳もピクリともたげます。
そして、まるでパラボラアンテナでリサーチするように、ゆっくり耳の角度を捻じ曲げ、音源を探ります。
このようなことから、無差別に音を拾い上げるチック脳は、強大な敵を想定した場合、非常に適応的なものとして機能したに違いありません。
すなわち、チック症などを有する発達障害やADHDの人は、まるで膜に包まれない”むき出しの脳”を持っているかのようです。

感度の高すぎる脳を持つことは、いいことばかりではありません。
むしろ、雑音や映像のような刺激が強すぎる情報の洪水に飲み込まれそうな現代にあっては、その過剰さゆえ、むしろ適当に鈍くないと、生きていくのに非常に大きなストレスがかかり続けることになります。

では、翻ってチック症とは何か?
私は、こう考えます。
これは、あまりに強く過剰すぎる刺激が到来、それを鋭敏すぎるチック脳では受け止めきれず、身体表現に形を変えて溢れ出してきたものではないか。
すなわち形は違えど、日常生活のストレスがあまりに強く、睡眠時の”夢作業”では処理しきれないため、奔出してくる「悪夢」などと同質のものではなかろうか。

軽度のチック症は放置しておいてよい、というのが世の習わしです。
多くのものが自然に消退するためで、私もこれには基本的に賛成です。
しかし、先の掲載ブログ文中で述べた「重度チック症」の場合はどうか。
できうる限るの環境調整が必要なことはいうまでもありませんが、それでもなお止められない場合、どうするのか。
私は、精神科薬物や漢方でコントロールしてあげることも必要なのではないか、と考えています。
それは、基本的に自然治癒が望めず(”自己治癒”をもくろむなら、精神修養など特殊な鍛錬が必要となり、それもまた脳に対する大変なストレスなので、場合によってさらなる増悪を招くこともある)、外部から何らかの救済をしてあげないと苦しすぎてかわいそうだからです。
(同じ意味で私は、「ひどい悪夢については薬物療法が必要」と考えており、実際そのようなアプローチを行っています)

ちなみに、チック症で行う薬物治療は、「脳の感度を幾分、下げてあげる治療」です。
こうして、脳への情報の過剰流入が制御できると、”情報の交通整理”が可能になっていくことも期待できます。

発達障害の患者さんが、俗に言う「KY(空気よめない)」なのは、情報流入過多でどの情報を取り出すべきか分からず、「フリーズ」してしまっているからなのです。
またその真逆で、「もうひとつのKY(空気を読みすぎる)」発達障害患者さんも大勢いるのは、とりあえずやってきた情報は無差別にキャッチしようとした結果、それぞれの情報の軽重が判別できず、結果過剰な情報に翻弄されるのみで、適切な行動に結び付けられないということを示しています。

ところで「発達障害」とは、現代社会の在り方をスタンダードとして措定し、ある人々がそこにうまく適応できないのは、発達過程に障害があるからだという考え方に基いて構成された一つの”概念”(障害名)です。
すなわち、”常識”からの逸脱が強い人ほど、発達障害の程度が大きいとされる。

いろいろな生き方が容認されていた過去の寛容な社会では、”変わった人”という括りで取り収められていた(場合によっては、レスペクトされさえしていた!)のですが、今の時代は、同調圧力が強まっており、社会からはみ出る人は「発達障害」というスティグマを付与するかたちで炙り出すようになったのです。
これは、非常に不幸なことです。

しかし精神科医である私たちは、社会における「発達障害」というスティグマ貼付に加担するのではなく、生きづらさを抱えた隣人のお手伝いをするのだと、改めて旗幟を鮮明にしなくてはなりません。
その覚悟を込めて、ここにこの小文を記します。

<※参考>

『自宅で暴れまわる我が子』 (「発達障害」<ADHD/アスペルガー症候群など>についての臨床相談)

「歯ぎしり・顎関節症」についてのQ&A・・精神科医からの見立て

夜尿症(遺尿症)・・・あいち熊木クリニックの漢方治療・精神科的治療

熊木による書籍紹介『自閉症スペクトラムの精神病理』内海健(医学書院)


『警察が私を陥れようとする!』 (「パラノイア」についての臨床相談)

「ビルに飛行機をぶつけたの、あれは私の叔母の仕業です」

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