新刊書『自己愛危機サバイバル ~摂食障害・醜形恐怖症・自己臭恐怖症の克服・治療~』のご紹介です

2019年10月16日

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このたび(2018.9.28.)、
『自己愛危機サバイバル
~摂食障害・醜形恐怖症・自己臭恐怖症の克服・治療~』
を、中外医学社より、上梓しました。

私としては、3年ぶり、8冊目の新刊書です。

以下に、本書の<まえがき>を掲載します。

これを読み、興味を持たれた方、
実際に今、ご本人やご家族が自己愛危機の問題、
および摂食障害・醜形恐怖症・自己臭恐怖症で苦しんでおられる方
そのような方々には必ず役立つものになっていると自負しています

一度手に取っていただければ、とても嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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<まえがき ~「私のすべてを、見て欲しい」~>

私が精神科医になりたての頃、
ある先輩医師から次のようなことを聞かされました。

「君がこれから2年間の研修医時代に出会う患者さんを、
とりわけ大切にしなさい。

なぜだか分からないが、
最初に出会った患者さんとよく似た人々と
これからの精神科医人生で何度も出会うことになる。

そして、そこで現れたテーマに否が応でも向き合ううちに、
最終的にそれがライフワークとなっていく」

なんだかオカルト的なことを言う先生だ、
と当時は少々訝しく思ったのですが、
それから二十数年経過して振り返ったところ、
見事そのようになっている。

初学者であった私に胚胎したいくつかのテーマは、
今に至るまで私という精神科医の大本を形成してきているのです。

そしてこれからお話しする患者さんも、私にとり忘れ得ぬ人であり
彼女との出会いが私の奥底にある何ものかを
激しく揺さぶったことは間違いありません。

それは、精神科医になり半年くらい経った時のこと。

私はその日、病棟の当番医で、
複数の患者さんを相手に、採血・点滴などを行っていました。

当時の私は、来る日も来る日も採血を立て続けに行っていました。

精神科医が採血ばかり、なんて変だな、と思う方が多いでしょう。

私も精神科医になったばかりの頃、
むしろ「精神科医はこころの医者だから、
精神療法のみに邁進すればいい」なんて考えていた。

同僚の精神科医も採血はうまくない人が多く、
だからといって、そのことに負い目は感じてないふうでした。

ところが、精神科医になって1ヶ月もしないうちに、
「身体的アプローチがうまくならなくて、
本当にいい精神科医療ができるのか」
などと生意気にも考えるようになりました。

精神科医にとり言語的アプローチはいうまでもなく重要なこと。

しかし、非言語的アプローチがなくては
深まらない関係性もあると予感したのです。

注射は、医師にとって一番基本的な身体的アプローチ。

まずこれから習熟を図ろうと思い、
外来の主任看護師に
「できる限りの採血をさせて欲しい。呼ばれたらすぐ行きますから
と話し、了承を受けた。

これについて、元々注射に熱心ではない同僚からは歓迎され、
私に採血の仕事を回してくれました。

元来不器用な私は、当初失敗ばかりで、
患者さんにも看護師にも迷惑をかけていましたが、
忍耐強く受け止めていただける幸運もあり、
しわじわですが精度が上がっていきました 。

やがて、誰がやってもなかなか成功しない
難しい患者さんからの採血でも成功するようになっていき、
ようやく自信が持てるようになりました。

話を戻します。

その日の最後に、
一人の女性患者・Yさんのベッドサイドにやってきました。

彼女は摂食障害で2年にも渡る入院生活を送っていた。

初対面の私にも気さくに話しかけてくれ、
にわかにはその病気の重さを察せられませんでした。

腕をまくると、黒々とした脈が浮き出てきた。

「一見採血しやすそうだけど、これが手強いのよ。
注射針を刺そうとすると、くるりと脈が逃げちゃうの。
初めてやって注射に成功した先生はこれまでにないのよ」
と、なぜだか自嘲気味につぶやくのでした。

そのとき、注射を成功させなくとも、
彼女に責められることはなかったでしょう。

しかし、彼女を深く失望させるような気がした。

「何としても、一発で注射を決めなくては」と考えました。

結果は、成功でした。

すると彼女の顔はパァーと明るくなり、
「一回で成功させてくれた人は初めて」と言ってくれた。

その一件から、彼女は私を少し信頼してくれるようになりました。

ただ、私は彼女の担当医ではないので、
長いカウンセリングを行うことなどはない。

ただ、病棟で会えば挨拶をする、そのような関係でした。

それから数ヶ月経過したある日、
私は当直医として夜間の病棟回診をしていました。

そこで彼女に呼び止められた。

「どうしても、先生に見てもらいたいものがある。
それを見て欲しい」と。

回診が終了してから、彼女の元に行くと、
彼女は私を女子トイレの入り口付近に案内します。

彼女はトイレの洗面台に向き合っている。

私はトイレの外。

そこで
「これが私のすべて。
これまで誰にも見せたことはないけど、どうか見て欲しい」
と言って、いきなり身体全体を波打つように震わせました。

するとゴボンゴボンと異様な音。

そして口のあたりからビシャーと吐物が噴水のように溢れました。

手を口に入れることもなく!

これを何度も繰り返す。

内発的・律動的に嘔吐を継続するさまは、
「人間ポンプ」さながらです。

トイレの中は真っ暗ですが、
窓の外の薄明をバックに、蠢く彼女が影絵のように映し出されて、
まるで奇妙な夢を見ているかのよう。

ひとしきり吐いた彼女は、よろよろとトイレの外に這い出て、
すとんとへたり込みました。

私はここでようやく我に返り、
看護師を呼んで、彼女をベッドまで一緒に連れて行く。

そのとき、何て声を掛けたか、自分でも覚えていない。

その後、当直室に帰り、しばらく天井を見つめながら考えていました。

これまでに彼女とそれほど多くの言葉は交わしていませんが、
当時の私にとって、
取り扱いあぐねるような重いメッセージを託されたのだと感じました。

担当医でもない私が、Yさんとこれ以上濃密に関わるべきでないとは思う。

そんな私は、そもそも何をしてあげるべきだったのか、
それとも何もすべきでなかったのか。

このメッセージ、これからどう咀嚼してゆくべきなのか・・・。

それから何年もの月日が経ち、
あのメッセージに私なりの意味づけが行われました。

患者さんの信頼を受けることは難しいが、
患者さんの人生の一端を引き受けることはもっと難しい。

あの時、期せずして、患者さんの人生のとば口を覗く羽目になったが、
当時の私はただ慄然とするだけで、それを受け止める度量がなかった。

詰まるところ、
「おまえに、患者さんの人生を受け止める覚悟ができているのか」と、
問われた気がしてならない。

そして今、私は摂食障害治療の専門家になっている。

本書は、摂食障害・醜形恐怖症・自己臭恐怖症など、
自己愛危機にさらされた女性達が、
格闘・克服した過程を描いた記録書であり、
伴走した精神科医から同様の悩みで苦しむ女性達
(そして、治療に携わる方々)に捧げる指南書です。

教科書的なことにはあまり触れていませんので、
そのような記述を望まれる方は他書をご参照ください。

ただ、本書にはあちこちに、
苦しみ喘ぐなかからしか発せられないであろう
本音の言葉・値千金の言葉が横溢している。

あなたに自分の人生を受け止める覚悟があるなら、
必ずやこころに響く言葉に出合えるでしょう。

人生はリレーです。

かつてYさんから私が大切なバトンを受け取ったように、
あなたも先輩たちからどうかこのバトンを受け取ってほしい。

そこに「ありのままの自分が、存在することを許せるようになる」ヒントが
あるはずです。

熊木徹夫(あいち熊木クリニック)

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