<熊木による書籍紹介> 『自閉症スペクトラムの精神病理』内海健(医学書院)

2019年10月19日

『自閉症スペクトラムの精神病理』内海健(医学書院)
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本書は、青年期・成人期の「自閉症スペクトラム」(成人ASD。以下、ASDとする)を対象とした精神病理学的考察である。
ASDについては、過去にも重要な著作が刊行されている。
それは、カナーやアスペルガーをはじめとする医師・研究者の著作、ASD者の自伝、過去の傑物の病跡などである。
しかし内海は云う、「ASD者の棲む世界・経験の成り立ちを洞察するためには、”こころ”や”社会”を自明のものとせず、定型者を相対化して、問い直さなければならない。
それによりはじめて、治療者も必要な心的距離が了解でき、治療における適切な”温かみ”が活かされる」のだと。

その言葉に偽りはなく、本書の大部分は定型者の徹底的な相対化に割かれている。
その相対化は、著者自身の思考・体験にまで及んでいる。
その上で、ASD者が発達過程でどのように”系統分離”したのか、分かる仕掛けになっている。
「まなざし」という他者からの志向性に触発され、「9か月革命」が起こる。
そこで登場するのが、<∮(ファイ)>である。
∮はその触発の痕跡であり、「自他未分」の世界に劇的な変化を与える。
∮自体は、他者からの志向性をキャッチするセンサーとして機能する。
まずsympathy(共鳴)が、empathy(共感)と対象認識(すなわち、こころとものの世界)に分かたれる。
そしてさらに、「自己」「他者」「”ここ”という場所」「こころ(志向性のあるところ)」が立ち上がる。
このプロセスの記述は精緻であるだけでなく、畳みかけるようなダイナミズムに満ちており、息を呑む迫力、誰しも”外からの傍観者”たりえない。

一方、ASD者にはこの∮の到来はなく、「自他未分」のまま進んでいくという。
これが言葉という「暴力」が支配的な一般社会で生きていくのにどれほどの齟齬をきたすか、どれほどその存在をぐらつかせるか。
それだけではない。ASD者が自他未分の世界から一歩踏み出すと、「反響することのない世界に取り囲まれた孤独」「消え入ってしまいたくなるほどの強烈な羞恥」が待つという。
これらが、ASD者の自伝・症例・病跡の解析を踏まえながら丁寧に語られていく。真にASD者に寄り添うとは、こういうことなのだ。

それにしても、何たる洞察力か。
定型者においては、ことばの指示作用が世界を分節する、すなわちシニフィアン(意味するもの)がシニフィエ(意味されるもの)を生み出す。
とするなら、ASD者に成り代わり、彼らを理解し救済するため、鮮やかな手さばきで誰にも真似できない世界の分節を行う内海健とは何者か。
本書の最大の功績は、先述の<∮>の発見にあり、これぞ発達理論におけるミッシングリンクであろう。
これもまた、内海のうちなる∮が果たしたことだと考えると、とても不思議な思いにとらわれる。

いずれにせよ、言葉、そして精神病理学的考察がもたらす臨床力を痛感させられる一書であり、我々精神科医のみならず、他の臨床家・教育者・福祉従事者、そしてASD者の親などが、この豊饒の海から汲み上げられる知見は数知れない。

熊木徹夫(あいち熊木クリニック)
<※「週刊医学界新聞」3164号より抜粋>
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<※参考>

『自宅で暴れまわる我が子』 (「発達障害」<ADHD/アスペルガー症候群など>についての臨床相談)

重症チック症・多発性チック症(および、トゥレット症候群・どもり(吃音症)・抜毛癖(抜毛症・トリコチロマニア)・爪かみ・歯ぎしり・貧乏ゆすり)の薬物療法(漢方薬・精神科薬物)

「歯ぎしり・顎関節症」についてのQ&A・・精神科医からの見立て

夜尿症(遺尿症)・・・あいち熊木クリニックの漢方治療・精神科的治療


『警察が私を陥れようとする!』 (「パラノイア」についての臨床相談)

「ビルに飛行機をぶつけたの、あれは私の叔母の仕業です」

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