“隣のファシズム”こそ本当の恐怖

2019年10月19日

NHKスペシャル「尼崎殺人死体遺棄事件」を見た。

www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file003/index.html

視聴後、しばし絶句した。

 

この事件、いくらか見聞きはしていたが、これまで何も知ってはいなかった。

本番組で、事件の一端と構造が明らかにされ、殊の外重大な問題を孕んでいると実感した。

 

これは、「家族内ファシズム」とでも言うべきものではないか。

 

首謀者・角田 美代子(元被告。取調中に自殺)が平穏な家族のささいな問題に付け込み、

寄生虫が宿主に巣くい、倒すがごとく、その家族を喰い潰し、

果ては自らの王国である疑似家族(ファミリー)をそこに打ち立てていく。

 

家族の各成員は、圧倒的な恐怖にじわじわ締めつけられていき、

最期にはさまざまな“適応行動”を取ろうとする。

 

ある者は、ファミリーの掟に背き、逃げ惑う。

またある者は、掟に背く成員の監視を余儀なくされ、果ては仕組まれた集団リンチに加担する(消極的賛同者)。

さらにある者は、新しい王国の主である角田元被告に恭順の意を示すようになり(支配されることの合理化)、真のシンパになり、やがて他の家族の圧殺者となっていく(積極的賛同者)。

 

そして、そのような“恐怖政治”に対し、警察がついぞ切り込むことなく、結果数多くの犠牲者を生んでしまった。

番組では、警察の注意・想像力の欠如につき、厳しく問いただす内容であったが、

被害者が警察の助けを得るには、なかなかに難しい巧妙なガードがかけられており、

捜査を行わなかった警察のみに責任を帰せられないようにも思える。

 

ファシズムは何も、戦中の日本のような誰の目にも明らかなかたちでのみ発生するものではないのだ。

むしろ、一見平和な日常にあって、隠微に構築されていく“隣のファシズム”こそ本当の恐怖なのかもしれない。

オウム真理教事件しかり、連合赤軍リンチ事件しかり。

 

悪の権化のように映る角田 美代子は、一体何を目指していたのか。

自分の意のままに踊り、共に不信をたぎらせ傷つけ合う人々の哀れさを、サディステックに笑おうとしたのか。

それもあるかもしれない。

しかし、以下のようなことも考え得る。

 

家族のなかに欺瞞を見、その崩壊する過程を眉一つ動かさず見届けながら、

その一方で、自らの賛同者のみで構築されたファミリーに何らかの夢を描いていた。

逮捕直後、そのようなファミリーから続々と“裏切り者”が出て、

それは砂上の楼閣であったことを痛感した角田は自死に及んだ。

 

角田の口から何も語られなくなった今、それは一つの想像でしかない。

 

それにしても、無辜の民が築いた無垢な家族の、何と脆く儚いことか。

このような外部の悪が及んだとき、それを遮り家族の絆を守るすべを、我々は持ち合わせているのだろうか。

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熊木徹夫(あいち熊木クリニック

<愛知県日進市(名古屋市東隣)。心療内科・精神科・漢方外来>:TEL:0561-75-5707: https://www.dr-kumaki.net/ )

<※参考>

書評『心はどこまで脳なのだろうか』(兼本浩祐著:医学書院)(雑誌「こころの科学」より転載)

キラキラネームは「オンリーワンの呪縛」 ~名前が孕む”言霊”について~


ギプスをつけて100メートル走

2013年頭の辞:あほやなあ

”都会のど真ん中にある精神科病院で、その気配さえ感じられぬ病院”が孕む問題

~「受験道」、そして「方便としての受験」~

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