トップアイドルという苦悩と憂鬱 (精神科医・熊木徹夫の公開人生相談)

2019年10月19日

Q:

これまで熊木先生のメルマガ楽しく読ませてもらっていましたが、今日初めてお便りします。

 

私は、有名アイドルグループ●●●に属しています。

さきほど行われた総選挙(注:全国レベルの人気投票のこと)でも、大きく順位を上げました!

 

A県の中学では、隣の中学から男の子たちが見に来るほど注目されていましたが、

●●●に入ったとき、みんなの可愛さに圧倒されてしまいました。

 

それから、コンプレックスのかたまりになった私は、

逃げ出したほうが楽かなと思ったんだけど、

このまま逃げてはずっと悔いが残ると思い、

どうしたら生き残れるかばかり考えていました。

 

まずはダイエット、そして我慢できなくなり、過食そして吐くようにもなりました。

そのうち理想体重の42kgにたどり着き、これで安心できるようになるかな、と思いましたがやはり無理でした。

 

そんなとき、グループのメンバーのうち、かなりの数の子たちが、

プチ整形しているって知ったのです。

 

どうしていいか分からなかった私は、なるほどその手があったか、と思いました。

けれど、どうして綺麗になる方法を私にだけ教えてくれないんだろう、と不信に思いました。

 

そして、プチ整形で初めて、目尻に切れ目を入れる前の日、怖くて震えが止まりませんでした。

けど、プチ整形で、生まれ変わったように、目の前がぱっと明るくなりました。

 

それから、2度めのプチ整形、そして3度めのプチ整形・・

自分の顔への不満はとめどない。

そして、プチ整形するたびに、総選挙での順位が上がっていく!

もう、プチ整形、やめられない!

 

最近、かわいいってよく言われるようになりましたが、

私自身は、どうしてもそうは思えないんです。

もっとプチ整形しつづけて、究極のかわいさを手に入れたいんです。

でも、どこまでいけばいいか、分からない。怖い。

 

この頃、どうして私はアイドルになりたかったんだろう、と考えるようになりました。

でも、あこがれていたアイドル生活とは全然ちがうとこに来てしまったんです。

 

先生は、これからどうすればいい、とお考えですか。

 

(※この質疑応答のメルマガ掲載については、あらかじめ質問者である彼女に了承を得ています。

個人が特定されそうな記述を一部改変ししていますが、質問の本質的な部分に影響がないようにしています)

 

A:

私は芸能界のことについては噂レベルのことでさえ疎く、芸能界の情勢についてはよく分りません。

しかし、思春期外来に来る少年少女が聞かせてくれる話から、想像をふくらませて、あなたへのアドバイスを書いてみることとします。

 

まずは、これをお読みください。

 

私のブログ記事

「醜形恐怖症(醜貌恐怖症・身体醜形障害)治療から垣間見える、女性のナルシシズム生成の危うさ  ~鏡と化粧の意味~」

kimo.dr-kumaki.net/syukei/

 

女の子が、お母さんの見よう見まねから、鏡の前に座り、化粧のまねごとを始めるとき、彼女達は一様に、自らが変身できるという悦びに心ときめかせ、うっとりします。

 

しかし、ある時を境に、鏡の前でため息をつくようになります。

ある年齢に達すると、化粧は、女社会への恭順を示すものとして機能するようになり、それに抗うことは、”女社会への反逆”か”離脱”と見なされるようになります。

すなわち化粧というのは、自らを自由に飛翔させる羽などではなく、自らをかんじがらめにするための軛(くびき)なのだと思い至ります。

 

さらには、今日はどうも”化粧のノリが悪く”イメージどおりの仕上がりにならない。

こうなると憂鬱の極みで、外出もしたくなくなる。

 

そうこうするうちに、アイラインを引く手にも迷いが生じ、そのためらいが全体の出来に反映されて、ますます冴えないものになっていく。

「これは、私の化粧のウデの問題ではない。きっと、持って生まれた”土台”のせいなんだ」

と居直るようになると、

「こんな顔に産んだ親が悪い。この顔を根本的に変えなくては、何も始まらない。やはりプチ整形するしかない」

と思い定めるようになってしまう。

 

こうなると「プチ整形さえすれば、なんとかなる。未来が開ける」などということで、

プチ整形がもたらすであろうミラクルに、限りなく強い期待を寄せるようになってしまう。

 

しかし、いざプチ整形を行うと、そこそこの成果は感じつつも、当初持つに至った肥大化した素晴らしき自分のイメージからは程遠く、そこに落胆をおぼえる。

 

そこで、「今回は初めて少しいじっただけだから、これだけでうまく行くはずがない。次回こそ大丈夫」

などと自分を奮い立たせ、またプチ整形に再チャレンジ。

でも結果は、そう代わり映えするものではない。

自身の顔はもとより、人生においても劇的な変化は訪れない。

こうして、繰り返しの手術地獄のワナにはまっていく・・。

 

これが、いわば「ポリサージャリー(頻回手術者)」になっていく過程です。

あなたはすでに、そのワナに足を突っ込みかけている。

まずは、そのことに気づいておかなくてはなりません。

 

上記のプロセスは、そっくりあなたのアイドル人生に重ね合わせることができます。

 

あなたがアイドルへ憧れた幼き時代、それは母に内緒で化粧箱を開けて、鏡の前で初めて紅を引いた純朴な時代と同じでしょう。

そして実際に念願のアイドルとなり、ファンから人気を得ようと懸命に邁進しようとするも、挫折続きで閉塞状況にある時代、それは鏡の前でため息をつきながら、化粧の”ノリの悪さ”と格闘する時代と同じといえましょう。

 

そもそも”可愛さ”って何でしょう?

古今東西、あらゆる世代の男女が、女性の可愛さについて、一家言を持ってきましたが、すべて主観的なもの、平たくいえば単なる”好み”の問題なのですから、”可愛さ”を定義づけるのは無理というものです。

また、”好み”は自分を取り巻く大勢の嗜好に左右されるもの、時代の流行に左右されるものです。

”人気”とは、このような奇っ怪な群集心理が作り上げるものですから、このようなものを人生の目標に据えてしまっては、もう迷走するしかありません。

ゆえに、究極のかわいさ・完璧なアイドルなど存在しません。

 

それなのに、なぜあなたは、このような幻想を追い求めるのでしょう。

 

それは根底において、自信というものが持てないからではないでしょうか。

 

幼少期にアイドルという”人生のジャンプアップ”を目指し、その実現に漕ぎ着けられたのは、それまでの人生(生活)における鬱屈を跳ね返し、一発逆転を狙ったがゆえでしょう。

それゆえ、人気者になるためなら、なりふり構わず必死になれたし、その幻想も部分的に現実に変えるというミラクルも達成できた。

 

しかし、これから先、どれだけ究極を追い回しても、目先でさらりと逃げ去る蜃気楼のようなもので、永遠に終わりはないのです。(そして、あなた自身、そのことに気づきかけている)

 

あなたに、ひとつやってみて欲しいことがある。

目をつむって、胸に両手を当ててみる。

そして、自分にこころの声で、こう問いかけてみる。

 

「わたしが毎日、ごはんを食べて、眠って、たとえ誰の役にもたたないとしても、生きていていいよね?」

 

アイドルという付加価値のないそのままのあなたの存在を、あなたは許せるか?

その問いかけこそが、私たちの”治療”のすべての始まりであり、かつ最も重要なことなのです。

 

そして、まだはるか遠い先であるかもしれないけれども、この問いかけにすんなり頷くことができるようになるなら、

そのとき、あなたの”治療”は終りを迎えるのです。

 

熊木徹夫

(あいち熊木クリニック

<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>

:TEL: 0561-75-5707: https://www.dr-kumaki.net/ )

<※参考>

摂食障害(過食症および拒食症<神経性大食症および神経性無食欲症>)治療のキモ ~ただのダイエットでは済まない、あなたのために~

美の競演のうちに潜む摂食障害(拒食症と過食症)

「現代型・自尊感情の低落」とは何か ~摂食障害(過食症・拒食症)・醜形恐怖症・自己臭恐怖症治療から見えてくるもの~

醜形恐怖症(醜貌恐怖症・身体醜形障害)治療から垣間見える、女性のナルシシズム生成の危うさ  ~鏡と化粧の意味~

現代の美の”魔術師”美容整形外科医自身が、醜形恐怖症(醜貌恐怖症・身体醜形障害)になった理由 ~美しくても逃れられない、女性ナルシシズム由来の苦しみ~

『クローゼットから溢れる洋服』 (「買い物依存症」についての臨床相談)

『死んでしまいたいくらい、寂しくて寂しくて』 (<自尊感情が低落している方>への臨床相談)

依存症治療はもはや、「対高度資本主義社会」の様相を呈している

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