書評『心はどこまで脳なのだろうか』(兼本浩祐著:医学書院)(雑誌「こころの科学」より転載)
一言一句噛みしめながら読んだ。通読し終えた後、すぐさま同じ兼本先生が書かれた一つの論文と一つの書籍が脳裏をよぎった。本書の下敷きにもなっている論文「原罪としてのコギト~『生命のかたち/かたちの生命』を読んで」と、『てんかん学ハンドブ ...
中井久夫随想~論文「薬物使用の原則と体験としての服薬」をめぐって~
中井久夫には多彩な貌がある。臨床家(精神科医)・医学研究者・訳詩家・詩人・エッセイストなど。そのいずれにも共通するのは、実践家であり体験の伝承者であるということ。評者は中井と同じく精神科医であるが、その経験年数において多大な格差がある ...
良き「官能的評価」がもたらされるための条件(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)
次に、良き「官能的評価」がもたらされるための条件とはどのようなものか、以下に列挙してみたい。
1)精神科医・患者がお互いに信頼し合っていること
臨床の場は、真剣勝負の場である。ここには ...
そもそも身体感覚の鈍い人とは(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)
ところで精神科薬物療法は、単に患者の表層的な精神症状のコントロールを司るだけのものではない。精神科医は投薬を行う過程で、治療をうまく機能させるような良き「官能的評価」を患者から炙りだしていく。オーケストラにおいてもいい”音”があるよう ...
”主客”の共鳴から生まれる「官能的評価」(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)
まずこの「官能的評価」が機能するためには、どのような前提がなくてはならないか。
茶道などで持ち出される「主客一体」がそれである。「主客一体」とは、主人と客がそれぞれ主体を維持しながら、同じ「おもてなし」の場を共有して、相互 ...
“服み心地”と「官能的評価」の違い(論文「「官能的評価」から考えた精神科治療論 ~いかに抗うつ薬を、服み効かせるか~」より)
私は拙著『精神科医になる』(中公新書)の中で、精神科薬物の「官能的評価」という用語を持ち出し、こう提唱した。
処方あるいは服用した薬物について、患者あるいは精神科医の五感を総動員して浮かび上がらせたもの、(薬物の“色・味わ ...
「らしさ」の覚知とは(論文「「らしさ」の覚知 ~診断強迫の超克~」より)
「診断は治療の前提になるもの」という考えは、西洋医学臨床における基本テーゼである。たしかに、それでうまくいく場合はそれでも良かった。しかし、厳密な診断にこだわればこだわるほど、底なし沼に嵌り込んでしまったというのが、今の精神科臨床のお ...
臨床現場、混乱の原因となるものは(論文「「らしさ」の覚知 ~診断強迫の超克~」より)
このところ、総合病院精神科外来や精神科クリニックにおいて、うつ病や躁うつ病の軽症の患者がよく訪れるようになってきたとは、つねづね喧伝されていることである。これは、精神科が世間的に敷居の低いものになったことや、実際に軽症うつ病・躁うつ病 ...
初診時における精神活動(論文「「らしさ」の覚知 ~診断強迫の超克~」より)
初診においては、前情報があるときもあれば、ないときもある。ここでは一応、前情報はないものとして話を進めたい。また、患者が単独で来院する場合も多いのだが、ここでは患者以外に家族が一人帯同するケースで考えてみることにしたい。
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治療戦略的プラセボ ~精神科薬物療法の目指す未来~
1:はじめに
精神医学および精神科薬物療法は、ながらく混沌のなかにあった。それは患者の示す精神症状がどのような体のメカニズムによるものか、うまく描き出せないためであり、またそれゆえに向精神薬が効くのに、どのような薬理学的背 ...