ありがとう、我が青春の原節子

2019年10月19日

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原節子が亡くなった。
95歳だという。
女優引退後、鎌倉で人目を忍んで暮らしていたということだ。

私は一時、原節子に恋をしていた。
映画狂だった大学4年の頃、今池の小さな映画館・シネマテークで、小津安二郎作品「東京物語」「小早川家の秋」の二本立てを観た。
ずっと気になっていた小津監督の映画を一度観ようと出かけたのだが、スクリーンの上に映しだされた原節子に脳天を打たれた。

私はもともと、彼女のような顔のホリが深くバタ臭い女性に関心がなかった。
しかし、そんなちっぽけなことはどうでもよくなるほど、彼女に惹き寄せられた。
彼女の発するひと言ひと言、そしてその所作のひとつひとつを固唾を呑んで見守った。

もちろん、彼女が醸し出す”豊かな陰影”、絶妙な間のとり方などは、小津安二郎の演出によるものに違いない。
その後何度か観た「東京物語」は、観るたびに新たな発見があり、小津の意匠の精巧さ・奥深さに唸らされたものだ。
さすが、世界に冠たる名匠・小津安二郎!

それは確かにそうだが、映画はいつも監督の意図に思いを巡らして観る習慣がある私が、そんな理屈を飛び越えて、真っ先に女優に魅入られたのは初めてのことである。

その後分かったことだが、42歳で引退した彼女は、もう新たな作品のなかでは観られないという。
でも亡くなったわけではない、日本のどこかに隠棲しているという。
一説に、亡くなった小津安二郎(一生独身だった)に操を立てて、自らも独身を通しているとのこと。
何てしおらしい人か。
そして、何から何まで謎めいている。

考えてみれば、私自身が生まれるより前に引退した女優に対してこのような思いになるのはおかしなことだが、まさに恋焦がれていたのだった。

その時つきあっていた人がいたのだが、それとこれとは別。

生まれて初めて買った(そして最後の)女優の写真集は、原節子。
(これは今まで恥ずかしくて誰にも言えなかったことである)

彼女への熱狂は、しばらくして冷めたが、それでもこころのどこかに、隠棲している彼女への意識があり続けた。
どうかこのまま姿を表さず、私の永遠の憧れでいて欲しい。
でも私は、彼女が亡くなるということが想像つかなかった。
スクリーン上での彼女がそうであるように、このまま、本当にどこかで永遠に生き続けていくのではないか。
仮に亡くなっても、亡骸を見せない猫のように、その死はきっと誰にも確認されることなく・・。

そして彼女は、再び私の前に現れた。
亡くなったなどとは、私にとってはまさかの話。
しかし、やっと目が覚めた。
私の長い長い青春が終わったのだ。

時代に汚されることなく、永遠のスターとして、生を全うされた彼女に、なぜだか深い感謝の情が湧いてきた。
ありがとう、我が青春の原節子。
そして、本当にさようなら。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック
<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
:TEL: 0561-75-5707: www.dr-kumaki.net/ )

<※参考>

2015年年頭の辞: 「やっと、間に合った」

2016年年頭の辞: 「三郎おじいさんのフクロウ」

故・鈴木茂先生を悼む

故・岩田勲先生との洛星高校演劇部での思い出(追悼)

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