「Dr.倫太郎」所感 ~臨床のリアルに肉薄した内容のドラマであるなら、どこかの”誰か”を傷つけることになるかもしれない~

2019年10月19日

こんにちは、熊木です。

数人の患者さんのおすすめで、
「Dr.倫太郎」という精神科医が主人公の番組を、2回ほど見てみました。

私は高校時代、演劇部にいたことがあり、
このようなドラマを見るとき必ず、
演出・脚本サイドからと、キャストサイドの双方から見る癖があります。

主人公の日野倫太郎という精神科医を演じるのは、堺雅人さん。
最近よく見かける方ですが、彼は本当に演技がうまい。
かなり曲者の役が多く、それぞれかなり違った性格の人物であるにもかかわらず、
どれも独特の味付けをして完璧に演じきる。
私の好きな役者さんの一人です。

他にも、
吉瀬美智子・蒼井優・高畑淳子・松重豊・小日向文世・遠藤憲一といった
玄人好みのする役者・女優をそろえており、
皆熱演、かなり力の入った作品であることが分かります。

主人公の倫太郎の振る舞いに、
私たちのいう「治療枠」を大きく逸脱した”問題行動”が散見されますが、
まあそれはドラマということで目くじらを立てるほどのことではない。

しかし、残念だと思うのは、これだけの役者・女優を揃えたにもかかわらず、
私たち精神科医が日常臨床で目の当たりにし圧倒され続けている患者さん、
切実さ・不可解さ・凄み・滑稽さなどが渾然一体となってある患者さんという存在の
”魅力”があらかじめ抉り出せていないために、
最終的に彼らの力量が活かしきれていない、ということです。

厳しい言い方になりますが、
臨床現場には、誰一人として、定型的な疾患・症状のみ有した患者さんはいないのに、
このドラマでは、そのような薄っぺらな(教科書的な)
人物造型しかできていない、との印象が拭えない。

でも一方で、こうも考えます。

臨床のリアルに肉薄した内容のドラマに仕立てるなら、
そこで描かれるディテールが、どこかの”誰か”を傷つけることになるかもしれない。

実は、これまでに著作・論文・メルマガを編んできた私たちにとっても、
同様の懸案を抱え続けているのです。

精神科医のような臨床家は、仮に何かを表現するにあたって
言及する人物の個人情報を周到に伏せたとしても、
どこかの誰かを傷つけるかもしれない。

(もちろん、どこかの誰かを救うかもしれません。
が、傷つけることがあり得るということの方が重大です)

臨床家が執筆家を兼業する際に避けて通れないこうしたジレンマは、
私たちの人生のさまざまな場面で、いろいろな形を採りながら現れてくる。

このことに自意識を持ち続けることが、
書く精神科医で在り続けるための条件とさえ言えるでしょう。

このドラマの脚本家・演出家は、
上記のジレンマを内に秘めていたがゆえに、表現を抑制したのか、
あるいは、ただ患者さんの内実に肉薄できなかっただけなのか。

いずれか分りませんが、
私自身、精神科医というものが外からどのように見られているのか、
それを知るいい機会だと捉え、
今後もこのドラマの展開に関心を寄せたいと思います。
熊木徹夫(あいち熊木クリニック<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>:TEL: 0561-75-5707: https://www.dr-kumaki.net/ )

 

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