ストレスチェック、その後の裏事情

2019年10月19日

最近ようやく社会全体に浸透してきたかに見える「ストレスチェック」ですが、運用過程でいくつかの懸念材料が見えてきています。

あいち熊木クリニック(心療内科・精神科)の「ビジネスマン(ストレスチェック)外来」においても、それらを垣間見ることができます。

ここでは、そのいくつかをご提示することとします。

さて、ここで再度確認です。

そもそも「ストレスチェック」とは、何か。

これは、厚生労働省が「労働安全衛生法」の法令改正により、2015年12月から、50名以上の労働者を有する会社・事務所での実施を義務付けたものです。

その主な目的は、労働者のストレスを簡単なチェックであぶり出し、労働環境の改善、そしてひいては労働者の精神疾患発症を未然に防ぐというものです。

kimo.dr-kumaki.net/stress_check/

ここでも私が記載している通り、このたびの「労働安全衛生法」の法令改正はあくまで“労働者の権利を守るための法令改正”です。

ゆえに、労働者サイドを庇護するため、あらかじめいくつかの重要な取り決めがなされています。

  1. ストレスチェックは、労働者にそもそも受検義務はない。
  2. 受検した結果は、本人のみに直接通知され、事業者サイドにはもたらされない。
  3. ストレスチェック受検の結果、「高ストレス者」(自覚症状が高い方や、自覚症状が一定程度あり、ストレスの原因や周囲のサポートの状況が著しく悪い方)と認定された場合、労働者自身がそのことを事業者に直接申し出ると、医師(主に会社産業医)による面接指導が受けられる。
  4. 受検結果は、社員本人が同意した場合に限り、事業者は先の医師から意見聴取することができる。
  5. その結果を受けて、社員に対して不利益処遇を行うことは、厳に禁じられている。
  6. また必要に応じて、事業者側から就業上の改善策を提案され、実施されることになる。

これはある意味、革命的な法令改正です。
労働者のメンタルヘルスの必要性を認識し、深く切り込んだもののように思えるからです。これが本当に公正に機能するなら、とてもすばらしいことです。

しかし、どんな会社でもこのような展開をしているわけではないというのが、精神科臨床現場をあずかる私の率直な感想です。

では、何が問題になっているのか。

解きほぐしていきましょう。

1.労働者にとり、ストレスチェックの受検は、権利であって義務ではない

これが本義のはずです。

しかし、実際はこのようになっていない。受検しないためには、特別な理由がなくてはならない。

特に、非正規労働者。彼らには、ストレスチェックを受ける要請を拒めないという弱みがある。

とはいえ非正規労働者の側も、ストレスチェックにおいて正直には答えていない。それは、「高ストレス者」と見なされたらクビになる可能性が高まるからです。

そもそも精神科受診者・向精神薬服用者というだけで、体のいい理由をつけて排除する向きもある。ややおおげさにいうなら、これは「現代の魔女狩り」になってしまう危険を孕んでいるのです。(実際に、俗にいう「ブラック企業」では、こんなこと朝飯前にやってのけます)

3.4.これらは、会社の人事部・上司および会社産業医が、みな労働者の健康を第一義に考えている場合のみ、成り立つ事柄です。

だが実際には、“例外”が散見されました。

  • 会社の人事部・上司が、会社の利益を第一に考えている場合。
  • 会社産業医もその”雇用主”である会社の利益を第一に考えている場合。

そのような場合、会社上層部と産業医は当然のごとく“内通”していました。(労働者の意向をパスして、労働者のストレスチェック結果を知らせる、ということです)

これは、そもそも制度設計に無理があるように思えます。会社上層部と産業医が、特別モラルのない人ではなくても、このようなことは自然に起こってしまうのではないでしょうか。

ですから、5.についても、これをお題目のように唱えても、ダメなのです。
「あなたはストレスチェックの結果が悪かったから解雇する」などという露骨な話はないにしても、会社にとって不都合な人物だと見なされたなら、何か別の言いがかりをつけて辞めさせることもできるわけです。とりわけ、経営上余力のない企業(そして、その人事部)は、なりふり構わないでしょう。

詰まるところ、現状のストレスチェックは「全ての企業は労働者の健康に配慮するはずだ」という「性善説」に基づく制度であり、どんな会社にもそれを期待するのは無理ということです。

さらに別の話題をひとつ。

先日、私の知り合いの精神保健の専門家の一人が、厚労省のストレスチェック課に電話をし、以下のことを確認しました。

「ストレスチェックの結果、「高ストレス者」と判定された場合、会社側自費負担での医師(主に会社産業医)による面接指導を受けるのではなく、健康保険を用いての精神科受診に結びつけても構わないのか」

それに対する厚労省側の意見、次の通りでした。

  1. あくまでも面接指導は治療目的でない。当初の主旨が変わってしまうので、面接指導対象者を保険診療の対象とするべきではない。
  2. 面接指導医は必ずしも精神科医である必要はなく、内科医や外科医であっても問題がないので、面接指導のプロセスで、精神科医だけが保険診療をするというわけにはいかない。

これを聞いた私は、開いた口がふさがりませんでした。いかにもお役人的な考えだなあ、と。

これは、今回の法令改正でできたストレスチェックがまずありきの答えです。

本来的には、会社に潜在している精神科的治療が必要な社員をフィルターにかけ、精神科医が直接治療に当たるのが最もいいわけです。

それなのに、内科医や外科医でもいいとか、保険診療に結びつけるべきではない、とか本末転倒ではないかと思うです。(私が先に書いた文章にもある通り、会社産業医全体で、精神科医の占める割合は5.2%に過ぎません。すなわち、そのほとんどがメンタルケアの専門家ではない。そもそもストレスチェックの医師面接は、基本的に医療行為ではなく、精神科的診察や病名診断および治療は行われないのです。)

制度というものは、概してそうですが、最初に掲げられた高邁な理想がそのまま実践されていくということはなかなかないものです。

とはいえこのたびの制度改革に、会社内のメンタルヘルスの大幅改善を期待していた私としては、「やはりそうか」とやや落胆が隠せません。そもそも会社内の精神保健において、まだ不透明な部分が多すぎます。

厚労省には、現場の生の声をもっと汲み上げ、さらなる意味のある制度改革につなげることを要望します。

また、大きな権限を有する会社サイドの方々(人事部・会社産業医)には、より高いモラルをもって制度運営されることを節に願います。

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