『あなたはガンではなかった、よかったですね』 <精神科医熊木徹夫の「臨床公Q&A」(12)>            

2019年10月19日

Q:51歳の女性です。

ちょうど1年前、45歳の時に切除した卵巣ガンの転移が肺に見つかり、
担当の外科医から「もう切除できない」といわれてしまいました。

「もってあと6ヶ月の命」ともいわれたので、ひどく動揺しました。

家族の支えもあり、さまざまな葛藤の末、
ようやく運命を受容しようという気持ちをもてるようになりました。

家族やこれまでの人生でお世話になった方に、感謝を捧げながら、
遺言状をしたためていた時のことです。
担当の外科医から、突然次のようなことを聞かされました。

「院内カンファレンスで他の医師と話し合った結果、
あれはガンでないことが判明した。よかったですね」と。

寝耳に水とはこのことです。

意を決して身近な友人には、もう長くないから、と
告げてしまったあとだったのです。

急いで、みんなに詫びをいれたところ、
「ホントよかったわね」と喜んでくれました。

蘇ったような心持ちでびっくりと同時に、喜びをかみしめていたのも束の間、
担当医からの再告知から1ヵ月後に深いうつになってしまいました。

こんなうれしい知らせのはずなのに、
なぜうつなどになってしまうのでしょう。

再びもらった大事な命のはずなのに、
最近それを投げ出してしまいたくなるような気持ちに襲われる私は、
本当にわがままです。

娘たちも、「いいかげんにしなさいよ」と私に愛想尽かしかけています。

なんとかならないものでしょうか。

A:『ランボー』という映画、ご存知ですか。

20年程前のアメリカ映画で、
シルベスター・スタローンという俳優が主演でした。

主人公ランボーは、ベトナム戦争の帰還兵です。

彼らは、ベトナムからアメリカに帰った当初、
その戦功を顕彰され、一躍ヒーローとなりました。

しかし、ベトナム戦争が終わってしまうと、
あの戦争は何だったんだというような懐疑的な見方が、
アメリカ国内においても広がり、
人々は忌まわしい記憶としてその事実を葬り去ろうとするようになります。

それと同時に、ベトナム帰還兵は帰国した時とは打って変わって、
まるで存在しなかったかような扱いを受けるようになってゆきます。

誇りを失い、社会において占めるべき位置も失い、
生活も心もすさみゆく彼ら。

そういった状況で、ランボーはうちから沸き起こる怒りを、
また別の戦いの場に向けてゆく・・。

私はこの相談を目にしたとき、
この『ランボー』という映画が一瞬頭をよぎりました。

戦争とガンの告知に、何の関係があるかって?

それは、あとで説明しましょう。

ところで、今回のガンの告知は、あなたにとってのみならず、
まわりの人にとっても大きな”事件”でした。

そのため、あなたの心がけにのみ言及したのでは、
非常に大切なことを見落としてしまいます。

そこで、この”事件”について、まわりの人の立場からまず見ることにし、
引き続きあなたの立場から見てみることにします。

そうすることで、常識的な目線からは見えてこない
この”事件”の構造がわかり、
あなたがなってしまったうつの本当の要因が分かるでしょう。

ガンになるというのは、現代人が一様に抱える恐怖です。

そしてガンになり、”余命いくばくもない”と宣告されることは、
このうえない悪夢です。

よってこのような悪夢を体験した人は、それが他人であったとしても、
ある意味”人身御供”のようなもので、
その悪夢は誰にとっても全くの人ごとではありません。

そのため、まわりの人々は憐憫と好奇から、
あなたの立居振る舞いに強い関心を寄せるようになります。
そしてまわりの人々は
、あなたの一挙手一投足に逐一”意味”を見出すようになる。

あなたはここで”舞台”に押し上げられて、
限られた生を全うする悲劇のヒロインを演じなければならなくなります。
あなたが、そのような状況を望むと望まざるとにかかわらずです。

さあ、幕が上がります。
これが”悲劇”の始まりです。

(現代の”悲劇”は静かに潜行するものではなく、
このように衆人環視のもとにあります。

それが”生きがい”につながる場合があるのかもしれませんが、
”そっとしておいてほしい”という静かな生活を望む思いは、
踏みにじられることにもなります。

人によっては、これが二重の悲劇といえるかもしれません。)

まわりの人とはいっても、あなたの家族の場合はどうでしょう。

彼らの動向にも、まわりの人々は無関心ではいられません。
こうして彼らは、あなたと同じく
この”悲劇”の”舞台”に押し上げられることになります。

また家族は、ガンに対しあなたと共闘する覚悟を決めます。
彼らを、”主演”のあなたの脇を固める”脇役”とみなしうるかもしれません。

それからは、あなたにとっても、そして家族の誰にとっても、
悔いの残らない最期を迎えられるよう、刻苦の日々が続いていきます。

(この過程で、あなたの家族は闘病にのみ集中するようになるため、
まわりの目はほとんど意識されなくなるはずですが、
果たして本当にそうでしょうか。

現代の”悲劇”においては、
純粋に自分のためだけに”悔いを残さないように”することができません。

その事情に気づかぬようにするために、
あなたと家族には、闘病とは別の”余計な疲れ”がでてくるかもしれません)

そこで、「あれはガンでないことが判明した。よかったですね」という
”寝耳に水”のような医師からの言葉。
そしてそれに伴って、心の底から沸きおこってくる安堵と喜び。

これは間違いのない気持ちでしょう。

しかしひとしきり喜んだ後、しばらくたつと、
ずっと持続してきた緊張の糸はプツリと切れ、
なーんだ、という白けた気持ちが芽生えてきます。

誰もあなたの死を待ち望んでいないのは、言うまでもないことです。

が、これは家族にとり全くの”拍子抜け”でもあります。

それと同時に彼らは、あなたが”死なない”と聞いて
こころの張りを失なってしまった自分自身に、
いいしれぬ”ばつの悪さ”を感じるようにもなります。

この”ばつの悪さ”を打ち消すように、家族は急にあなたに冷淡になります。

「いいかげんにしなさいよ」というのは、その表現です。

家族からすれば、こんなに心身を尽くしたのにそれが空振りに終わり、
やりきれない空虚さ・怒りを感じているのです。
この怒りのやり場に困って、あなたに矛先が向いている訳です
(理不尽な話ですが)。

では、肝心のあなたはどうでしょう。

死を宣告された患者さんの<死の受容>については、
一応”理論”があります。

精神科医キュブラー・ロスが著した書で、
現在ホスピスに関わる人々の基本書となっている『死ぬ瞬間』がそれです。

このなかでロスは、有名な「死のプロセス」を5段階に分けて論じています。
それは、否認・怒り・取引・抑うつ・受容というものです。

例えば、今回のように「もってあと6ヶ月の命」といわれた場合、
はじめは、”こんな話、到底受け入れられない”、
”夢ならば早く覚めてほしい”と考えます(否認)。

そして、”なぜ私だけがこんな目に・・”、”神様は不公平だ”、
”私は何も悪いことしていないのに・・”といった
思いにとらわれます(怒り)。

そして運命に抗うため、ガンと闘う構えをみせたり、
神仏に祈ってみたり(取引)。

ついには運命に抗しきれないと悟り、打ち沈むようになる(抑うつ)。

最終的には、死を従容として待つ境地になる(受容)というものです。

これはあまりに図式的に過ぎるし、
もちろんあらゆる場合がこのとおりにいく訳ではありません。

またこれは、”ひとは結局、来世待望に行き着くものだ”という
キリスト教的諦念にもとづいた理想論にすぎない、
という見方もできなくはありません。

しかし私には、ある程度普遍的な人間の真実を
言い当てているもののように思えます。
(それだからこの「死のプロセス」は、
世に広く受け入れられてきたのでしょう)

ところであなたは、先の例えでいくなら、
期せずして”舞台”に押し上げられた”主演女優”のようなものです。

相談の中では、あなたはこの「死のプロセス」を
飛び越えたところの話をされています。

しかし当たり前のことですが、誰にとってもこのプロセスを越えてくるのは
並たいていのことではありません。
あなたはあまりにサラリとしか<死の受容>について触れられていない
のですが、きっと大変な思いをされたことでしょう。

その”荒波”を乗り越えてようやく、
自らの人生の幕引きを恬淡と迎えつつあったあなたに、
キュブラー・ロスでさえ予見しなかった”大波乱”が待ち受けていました。

「あれはガンでないことが判明した。よかったですね」という医師の一言。

さまざまな葛藤の末、ようやく”大団円”といくはずだった
あなたの劇的な人生が、一気に崩された瞬間です。
喝采を浴びて、惜しまれつつ消え行くはずの”主演女優”は、
突然舞台から引きずりおろされます。

そんなはずはない、とあなたは言うかもしれません。
<蘇ったような心持ちでびっくりと同時に、喜びをかみしめていた>
といわれているのですから。

確かに生き続けられるようになったことで、
多くの大切なものは失わずに済んだでしょう。
それを喜ばれるのは、あなたの正直なお気持ちでしょう。

しかし、<こんなうれしい知らせのはずなのに、
なぜうつなどになってしまう>
とか、<再びもらった大事な命のはずなのに、
最近それを投げ出してしまいたくなるような気持ちに襲われる>というのは
一体どうしたことでしょう。

あなたは本当に、ただの”わがまま”なのでしょうか。

先に、映画『ランボー』の話をしました。

この映画については、ベトナム戦争を主題とした反戦映画、
ベトナム戦争後のアメリカの虚無を描いた映画であるとか、
いろいろな論評があるでしょうが、それはここでは取り上げません。

『ランボー』は、見方によっては”英雄墜落”の物語です。

ある時期を境に、毀誉褒貶が相半ばしてゆき、
ランボーのベトナム帰還兵としてのアイデンティティが
大きく揺らぎます。

彼は時代に翻弄された結果、かつての栄光を失い、
怒りに打ち震えているのです。
まさに、憤懣やるかたないとはこのことです。

ここで、
時代 → 医師の宣告
栄光 → まわりの共感
怒り → うつ
と置き換えると、これまでのあなたの状況に似てきませんか。

”悲劇”の渦中にあったのに、急に誰からも相手にされなくなった
というのは、一種の”喪失体験”なのです。

死の宣告撤回によって、命拾いしたようにみえて、
実は大切な何かを失くしてしまっていた。

その何かとは、まわりの人が寄せる共感・同情、
それに集中的に注ぎ込まれた家族愛です。

そのようなものは、ないならないで人生何とかなった。
しかし、ひとたび獲得してしまうと、容易に手放せないものになります。

すなわち、”無垢”な状態ではいられなくなります。
しかし、死の宣告が突然撤回されたあなたは、
もはやもとの”無垢”な状態ではないのです。

そしてこのような状況を受け止めかねて、
他責的になる人は怒り、自責的になる人はうつになります。

診断をつけるとするなら、あなたのうつは、軽度のPTSDによるものです。
(軽いか重いかの判断は、少し難しいのですが、一応そうしておきましょう)

PTSDとは、Post-Traumatic Stress Disorderの略で、
日本語では、「心的外傷後ストレス障害」と訳されます。

過去に受けた激しい心の傷が慢性的に経過し、
様々な生きにくさを抱えるようになる精神障害のことをいいます。

アメリカ精神医学会の作成した
精神疾患の診断・統計マニュアルであるDSM-IVの中にあり、
近年日本でも関西・淡路大震災や地下鉄サリン事件で、
この障害は有名になりました。

このPTSDのモデルケースとなったのが、
実は先述のベトナム帰還兵と、レイプ・家庭内暴力・近親姦後サバイバーで、
いろいろ政治的な思惑がからんでいます。

そのため、最近PTSDばやりだからといって、
何でもPTSDに当てはめることは問題があるのですが、
あなたの場合、因果関係が分からずひとりで苦しまれてきたのですから、
そこに道筋をつけてあげることが治療的であると考えます。

今回の場合、あなたのうつを家族は
「ガンではないといわれたのに、いつまで甘えているの」と
思っているようですので、
まずこのように認識を改めてもらうことで、あなたに救いが生まれます。

それに、精神科医の私に相談を持ちかけてこられたのは、
なかなかいい判断だったと思います。
精神医学的にみて看過できぬものだといえるからです。

悩みは、その輪郭がハッキリしてくると半分ぐらい治ったといえます。

ガンから解放されてなお苦しまなければならないあなたが、
この回答で少し楽になれるといいのですが。

最後に、あなたを”翻弄”した医師について。

彼はもちろんのことながら、あなたのこころの変遷にまるで気づいていません。
そもそも、何の悪気もありません。
「よかったですね」という言葉は字義どおりのもので、
あなたと幸せが共有できるものだという素朴な確信にもとづくものです。

しかしこの”無邪気さ”が、患者さんを苦しめることさえあるのです。

ガンという病気は、告知されるにせよそこから解放されるにせよ、
依然”落差”が大きい病気です。

ガンは告知するのが常識になりつつありますが、
患者さんに伝える立場の医師は、
患者さんに”覚悟”を問う以上、自らにも”覚悟”を問わねばなりません。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>
/〒470-0136 愛知県日進市竹ノ山2-1321
/TEL:0561-75-5707/ www.dr-kumaki.net/ )

<※参考>

認知症の母と妹がそろって死を口にする(70代男性)

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中学3年男子の孫が、万引や虚言をやめない(70代女性)

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