過食症 について

2019年10月19日

美の競演のうちに潜む摂食障害(拒食症と過食症)

オリンピック競技の中には、「美の競演」と形容されるスポーツ競技があります。
それは、フィギュアスケート・シンクロナイズドスイミング・新体操といったものです。
これらは、技術点と芸術点の総合で評価されますが、
芸術点の評価が、技術点に負けず劣らず大きいのが特色です。

ではこの芸術点の基準となる「美」はどのようなものか。
美の基準は、技術点の大きな評価材料となる“速さ”や“強さ”などと違い、絶対的なものはなく、おそらく評価者の内規によるものと考えられます。

では、評価者の内規はどこに由来するのか。
それはもちろん、競技全体で醸し出されてきた美のスタンダードが踏まえられたものでしょうが、評価者の趣味・趣向も含まれているに違いありません。
その趣味・趣向は、評価者の人生観・価値観を投影したものでしょうし、また時代のモードを踏まえたものでもありましょう。
さらには、競技者は常に新たな美の形を表現しようとしのぎを削っているわけですから、極限の演技における新たな美の導入が、評価者の美観をドラスティックに書き換える契機となるだろうとも推察されます。

いずれにせよ、美に絶対的な基準はない。
その仮想的な“究極の美”をめざして、競技者は研鑽を積み、指導者(監督・コーチ)はゲキを飛ばす。

一般に、その美の基準には容姿が含み込まれないとされていますが、それは果たしてどうでしょうか。
容姿の美醜・それに対する好悪の感情を禁じて、競技の“質的な美”のみを判定するというなら、
それはむしろかなり不自然なことですし、断じてそうだと言い張るなら、それは一種の欺瞞だともいえます。

このような“究極の美”を目指すプロセスで、大きな“落とし穴”があります。
それは摂食障害(拒食症・過食症)という病です。

現代における女性美は、「スリムであること(やせすぎで、手足が長く見えること)」と言い換えてそう間違いはないでしょう。
それはTV・雑誌など各種メディアのなかで、「これでもか」と言うくらいに分かりやすく示されています。
手足を伸ばすことはできないので、もともと手足が長くない子は、そもそもオリンピック選手候補になることすら難しいでしょう。
ゆえに、もともと手足が長いという“資質”を備えた子を集め、英才教育を行うのです。

技術点を上げるためには、日々研鑽し練習に励めばいいということは明白です。
しかし、美の研鑽は難しい。
誰にでも分かる美を指向するなら、まずやせることが重要になってきます。
そのため、指導者も熱心さのあまり、競技者に対し「やせよ」という有形無形の圧力をかけることになる。
そして、その指導者の期待に応えんとして、また一点でも多く芸術点を得ようとして、競技者自身も躍起になる。

そこで無理なダイエットが始まり、やがてリバウンドを起こす。
過食するだけでは体重が激しく増加していく一方ですから、いつしか嘔吐を覚え、挙句、フラストレーションから大量に食べて吐き戻すことを繰り返すようになる。
こうして、過食嘔吐(過食症)の完成です。

この状況を見るに見かねて、その子の両親が「どうにかならぬものか」と指導者に哀願する。
すると指導者は、自分がその子の”素行不良”の責任をかぶせられたという被害感からか、はたまた自分の思い通りにならぬ”不肖の弟子”を不甲斐なく思うからか、「過食症になるなんて恥ずかしいこと。自己管理がうまくできなくては一流選手になれない」「過食症をキチンと治すまで、私の前に現れるな」などと言ったりするのです。

これまで“美を指向せよ”とハッパをかけてきた指導者の云いに従い、忠実に競技に取り組んできた競技者は、ここで「はしごを外される」。
やせなければ競技を続けていけない、でもその結果、やせすぎたり過食嘔吐に陥るなら、そっぽを向かれてしまう。
これを「ダブルバインド(二重拘束)」と呼びます。

このような状況に追い詰められ、わらにもすがる思いで、私の前に姿を現した競技者は枚挙にいとまがありません。
彼女が身を挺して研鑽してきたその競技から、むりやり彼女を引きはがすことは、まったく容易ではありません。
ひとまずは活動休止を促し、そこで冷静になったところで、彼女をダブルバインドに追い込み、心身に破滅的ダメージをもたらした競技にまた復活するべきか否か、よく考えてもらいます。
最終的に引退せざるをえなくなる場合でも、人生の次のステップへ進むためには、その競技に対し「落とし前」をつけておく必要があるのです。

奇跡的に引退せず、競技を続行できることもあります。
それはそれでとても立派なことですが、光のまったく当たらないところで競技を途中断念せざるをえなくなり、ひっそりとキャリアを終えた競技者があまた居ることを、みなさんにも知っておいていただきたいと思うのです。

(※1 これは、あいち熊木クリニックに受診希望してきた競技者たちにおおむね共通する部分を抽出した記載です。もちろんこのような無理解な指導者ばかりではないでしょうが、実際にはこのようなケースがことのほか多いのです。もちろん、指導者は指導者で、競技全体という大きな構造の“犠牲者”であるともいえます。)

(※2 あいち熊木クリニックでは、これまでにもこのような挫折体験をもつ競技者がたくさん来院されています。競技の続行・中断については、その妥当性を吟味し、慎重な判断・行動の促しを行っています。もし、「あいち熊木クリニックで治療を受けてみたい」とお考えなら、初診申し込みをされてください。受診時にあなたが指向されていることが必ずかなうかどうかは分かりませんが、納得のいく人生選択ができるようにお手伝いしたいと考えています。なお、治療においては、心理カウンセリングが必須となります。)

<※参考>

摂食障害(過食症および拒食症<神経性大食症および神経性無食欲症>)治療のキモ ~ただのダイエットでは済まない、あなたのために~

「現代型・自尊感情の低落」とは何か ~摂食障害(過食症・拒食症)・醜形恐怖症・自己臭恐怖症治療から見えてくるもの~

醜形恐怖症(醜貌恐怖症・身体醜形障害)治療から垣間見える、女性のナルシシズム生成の危うさ  ~鏡と化粧の意味~

現代の美の”魔術師”美容整形外科医自身が、醜形恐怖症(醜貌恐怖症・身体醜形障害)になった理由 ~美しくても逃れられない、女性ナルシシズム由来の苦しみ~

トップアイドルという苦悩と憂鬱 (精神科医・熊木徹夫の公開人生相談)

『クローゼットから溢れる洋服』 (「買い物依存症」についての臨床相談)

『死んでしまいたいくらい、寂しくて寂しくて』 (<自尊感情が低落している方>への臨床相談)

依存症治療はもはや、「対高度資本主義社会」の様相を呈している

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