自己肯定感低下 について
『死んでしまいたいくらい、寂しくて寂しくて』 (自尊感情が低落している方への臨床相談)
『もう悩まなくていい ~精神科医熊木徹夫の公開悩み相談~』(幻冬舎)より
Q:私は38歳の女性です。
私はもう長いこと、自分をどう生かして行ったらよいのか分からず、もがき、苦しみ、それだけで疲れ果てているのです。普通なら楽しいであろう場面でさえ、内心では苦痛で逃げることばかり考えてしまうようです。
何事も中途半端で意志の弱い自分を、何とかしなければと反省する気持ちも強いのですが、立ち上がり焦って全力疾走してはまたつまずいて転ぶというようなことを、今でも繰り返しています。
18歳までは、両親とふたりの妹の5人家族で暮らしました。父親の仕事で、20回くらい地方を引っ越しました。父親は、最近年を取って人当たりが良くなりましたが、昔は仕事人間で子どもには怖い存在でした。
母親は、家事全般にだらしなく、浮気をしていた時期もあります。父親のたびたびの転勤は、大学を出ていないからだという不満を持っていました。
そのために、私たち子どもは、なにより学校の勉強が優先でした。
幼少時には、内面は幼いのに長女として大人扱いされていて、期待に添うよう無理をして振舞っていたと思います。転校も多く、周囲の関心を得ることばかりに心を砕き、本当は自分がどうしたいのか分からなくなっているのは、このころから変わらないように思います。
はた目には不自由のない環境でも、いつも寂しさを抱えていたことを、今さら誰かのせいにするのはみっともないと分かっているのですが、つまずくたびに当時を恨めしく思ったり、これまでの自分のふがいなさを数えては、乗り越えるどころか、同じことで何度も自分を痛めつけてしまいます。
その後、私は大学進学のため、18歳で上京して一人暮らしを始めました。
その後、妹たちもそれぞれ同様でした。私は、実家を出ることが目的だったのでせっかく入った大学に間もなく興味が薄れ、また経済的にも苦しかったので、アルバイトで自分の居場所を見つけ(たと思い)、そのころには2歳上の人と同棲もしました。
その人は親に捨てられ、施設で育った後、自立していた人で、同年代の大学の男性に比べると、はるかに大人であると思えました。私はこの人と暮らしている間、主婦のように家事をしていました。この生活は先行きが不安になり、3年目に終わりました。
私は2年次で休学していた大学を中途退学し、もとより好きだったデザインの勉強をしようと専門学校に入学し直しました。同棲を解消することを条件に、親に費用を負担してもらいました。2年後に専門学校を卒業し、就職したのは都内の中堅の不動産会社でした。親への引け目からか、お給料の額と住居の心配がなさそう、ということで決めました。
就職当時がバブルの最盛期で、初めは華やかなOL生活でしたが、その後会社の業績が悪化するにつれ、社内の人間関係も荒れていき、4年後に体調を崩して退社しました。
そのあと別の企業に就職し、2年半くらい勤めて結婚を理由に退社しました。
現在の夫は2歳上で、私の古い友人の、ご主人の古い友人ということで知り合い、半年くらいつきあって結婚しました。夫も両親と姉のいるサラリーマン家庭に育ち、私との結婚においては何の障害もありませんでした。
結婚の後、今度は夫の転勤で引っ越しを繰り返しました。どうせ転勤があるから……という思いがあり、正社員にはならず、目についた間に合わせのパート勤務をする主婦でいました。
経済的には、夫が生活には十分な給料を得てくれていました。財産はありませんが借金もなく、とても穏やかな暮らしでした。このようにして5年間が経過しました。
結婚当初よりセックスレスでした(あっても私には一時しのぎの安心や慰めになりそうで、これは私の苦しみとは別のものと思っています)が、子どもをどうしようかという年齢にもさしかかり、何か日々、生きている実感がないことに寂しくて、いろいろと思い詰めたあげく、2年半前に家を飛び出し、一人暮らしを始めました。
これは、たまたま人との出会いや偶然も重なったのですが、自分を「生き直す」には最後のチャンスと思えるような偶然の流れに、勢いで思い切って乗っかってみた、というような感じでもあり、なにもかもやけくそですべて投げだし、ともかく逃げ出したい一心で、ということでもありました。
もちろん別居は私からの一方的なもので、親や夫の転勤に付き合うのではなく自分で選んだ場所で暮らし、人任せの人生を変えたいから、とか、女性の仕事としての子育てに代わるような一生続けられる仕事を見つけたいから、などを理由に挙げましたが、本当は、真面目で優しい夫の結婚相手は私である必要はなかったとの思いにとらわれ、申し訳なく、息苦しい生活から逃げ出してきたのだと思います。
選んだ先は、身よりも知人もない、住むのも初めての関西圏でした。
ここで今、伝統工芸の仕事にどうにかありついて、なんとか一人暮らしています。ビンボーしていることが、唯一以前より、生きている実感があるかもしれません。
離婚届は、未完成のまま、話自体も棚上げになっています。
時々、主人は出張の途中で関西に立ち寄り、一緒に食事などしますが、彼は私を責めるようなことはひと言も言いません。でも、戻って来いとも言いません。彼は、私でなければだめだとも言いませんが、他の女性と付き合う気持ちもなさそうです。
こういった状況……つまりは、私は私自身の意志でどんな生き方でもできる、現に身内にも心配や迷惑をかけつつも、今は気ままな一人暮らしをしているというのに、先にも書きましたように、まったく不安定な気持ちを抱えて少しも楽しめない日々を送っているのです。
「開いている自分」と「閉じている自分」という言い方がありますが、まさに、開いている時の私は前向きで快活で、人付き合いも仕事も順調で、すべてのことに感謝の気持ちでいっぱいの日々を送りますが、ささいなきっかけで(それがわからないことも多いです)「閉じる」と、全てを拒否して引きこもりに近い状態になります。
これが休養や充電の時期ととらえられればよいのですが、その「閉じ方」がゼロで済まずに、マイナスまで徹底的にすべて破壊してしまうような勢いなので、これを繰り返して一歩も成長できず、何も身に付かずに年齢だけを重ねてしまっています。
本当は死んでしまいたいくらい寂しくて寂しくて、何にも集中ができません。「閉じる」時の激しさに比べたら、日常のこれが好きとかあれがしたいとか、思い続ける力が持続しません。
あやしい宗教でも何でもいい、迷わず信じ続けられるものがある人をうらやましくも思います。
何か救われる道を探し求めていますが、現状の自分ではダメなのがわかっているだけで、この先の理想の自分というのも思いつきません。
これはやはり、自分だけの問題で、自分自身で納得して解決しなければならない性格やクセのようなものなのでしょうか。それとも、精神的な病気で、治療にかけられる種類のものなのでしょうか。
二人でも、一人になっても、どこでどうして暮らしていても、不器用で寂しくて仕方のない私に、何か生きていくヒントはあるでしょうか。
いい大人になって甘えるなと強く叱って欲しい気もします。いっそのこと「躁うつ」とか「分裂病」とかいうのでしょうか、病名を付けられたら「治る」道もあるようで安心できるような気もします。
振り子のようにフレて落ち着かない自分にあきれ、ほとほと疲れ切ってしまいました。
A:
1.太宰治『人間失格』との対比
あなたのこのご質問を読んで、私がまず、最初に思い浮かべたのは、太宰治『人間失格』です。
この小説は、現在あまり読まれないかもしれませんが、私はまわりの友人に薦められ、中学1年生のときに手に取りました。次のような有名な文章で始まります。
「恥の多い生涯を送って来ました。 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」
葉蔵という名家出身の美貌の少年が、次第に崩れ行く自らの人生のさま、自己韜晦(じことうかい)し、女を渡り歩き、自分もそして自分に関わる人々をも貶(おとし)め、やがて彼自身のいう”狂人”となっていくその過程)を、極めて自虐的に告白していくような体裁で綴られています。
そして最後の文章は次のようなものです。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚(あびきょうかん)で生きて来た所謂(いわゆる)「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。」
太宰の『人間失格』との類比はともかく(次第に明らかになります)、ひるがえってあなたの半生を見渡すことにしましょう。
2.“調和”と“逸脱”の繰り返し
まず家族の事情について。
仕事人間で自宅に不在がちの父、家庭を省みず、それでいて子供に愚痴ばかりこぼす母。あなたは、長女として幼いころから、この家族の”かすがい”のような存在だったのでしょう。
このような調整的役割を、いろいろな場で期待され、それにことごとく応じようとしてきたあなた。
しかしいくら頑張っても、あなたの”子どもの心”は癒されず、あなたのうちには寂しさが沸き起こるばかり。
18歳で家を出たのは、必然的な選択でしょう。
その後、学ぶ興味を失い、同棲を経験するなど、きまじめ人生から軽く”逸脱”します。(この後も、”調和”とそれを壊すような”逸脱”という行程を繰り返します。これは先に示した『人間失格』の葉蔵の人生でも特徴的です)
そして大学生活をリセットし、好きだったというデザインの勉強をしようと一念発起。
ここで同棲を解消することを条件に、親に費用を負担してもらうことになるわけですが、”せっかく”家を飛び出したのに、またあなたの人生が親の管理下に置かれるようになってしまいます。(これが、あなたの虚無感・脱力の背景となっています)
それから、就職・結婚と、波乱のない”人並み”の道筋をたどります。あなたは夫に対し、表面的には何の不満も持っていないようにみえますが、あるとき、何もかもかなぐり捨てて出奔(夫には行方を告げていた?)します。(これが、2度目の”逸脱”になります)
本当は、真面目で優しい夫の結婚相手は私である必要はなかったとの思いにとらわれ、申し訳なく息苦しい生活から逃げ出してきたのだと思います。
もっともらしい理由なのですが、これは”私の結婚相手はこの夫である必要はなかった”というあなた自身の思いの裏返しだろうと思われます。
このように自らの思いを、相手に仮託して感じることを、「投影性同一視」といいます。
何か日々、生きている実感がないことに寂しくて、いろいろと思い詰めたあげく、2年半前に家を飛び出し一人暮らしを始めました。これは、たまたま人との出会いや偶然も重なったのですが、自分を「生き直す」には最後のチャンスと思えるような偶然の流れに、勢いで思い切って乗っかってみた、というような感じでもあり、なにもかもやけくそですべて投げだし、ともかく逃げ出したい一心で、ということでもありました。
このあたり、あなたには何か煮詰まった思いがあったのかもしれませんが、外から見る私たちからすると、あまりに唐突である印象が拭えません。
3.夫との不思議な関わり
一方、このことについて夫はどう思っていたのでしょうか。
時々、主人は出張の途中で関西に立ち寄り、一緒に食事などしますが、彼は私を責めるようなことはひと言も言いません。でも、戻ってこいとも言いません。彼は、私でなければだめだとも言いませんが、他の女性と付き合う気持ちもなさそうです。
あなたと夫、なんだか不思議な関わりです。
”なんだか不思議な関わり”というのは、これほどの仕打ちをしても、あなたは夫から責められないこと、そして、なぜかあなたも、夫に対しほとんど罪の意識を持っていないことを指しています。(これも『人間失格』の葉蔵に通ずる点です)
夫は、あなたのこのような無軌道にみえる生き方を尊重するほど度量が広く優しい人ともいえそうですが、同時に、あなたを強引に自らのもとに手繰り寄せようという気力に乏しい弱力型の人物だともいえるかもしれません。(おそらく、どちらの見方にもある程度妥当性があるでしょう)
結婚当初よりのセックスレスも、同様の理由が考えられます。
4.あなたの前には、誰もいない
ところで、あなたが夫に対し、罪の意識をそれほど持てないのはなぜでしょう。それは、これまで非常に傷ついてきているあなたが、夫にも応分の傷つきを求めるからでしょうか。
それとも夫の存在自体が、この寂しさの原因の一端をなしており、夫が妻であるあなたのわがままに耐え、配慮しつづけることは、あなたにとって当然といえるからでしょうか。
はたまた、あなたが耐えがたい寂しさに圧倒され、夫を慮(おもんぱかる)る気持ちを持つ余裕がないからでしょうか。
いや、一番の理由は、このような他者との関係性の手前のところにあるのではないでしょうか。あなたには夫が見えていないのです。夫だけではありません、実は誰も見えていない。すなわち、あなたの前には”他者が不在”だということです。
これはどういうことでしょう。だってあなたは、これまで普通に他者と社会生活を営むことができてきたというのに。あなたは一見他者と卒なく関わることができているようですが、本当のところ、それは表面的なものでしかありません。
本当は死んでしまいたいくらい寂しくて寂しくて、何にも集中ができません。「閉じる」時の激しさに比べたら、日常のこれが好きとかあれがしたいとか、思い続ける力が持続しません。
あなたの寂しさは、そばに人がいるはずなのに、その存在の実感がまるで伴わないことに起因しています。本当に誰もいないときに感じるあたりまえの寂しさなんて、これに比べたらまるで問題になりません。
”「閉じる」時の激しさ”とは、”他者との関係性に根ざしていない空疎な自分というものに、真っ向から向き合うことへの怖れ”とでも言い換えられましょうか。
こういった状況……つまりは、私は私自身の意志でどんな生き方でもできる、現に身内にも心配や迷惑をかけつつも今は、気ままなひとり暮らしをしているというのに、先にも書きましたように、まったく不安定な気持ちを抱えて少しも楽しめない日々を送っているのです。
自由で気ままな生活を楽しめるためには、その背後に他者からの制約・束縛が前提にならなくてはなりません。そうでなければ逆に、自由があなたを苦しめることになります。
あやしい宗教でも何でもいい、迷わず信じ続けられるものがある人をうらやましくも思います。
このようにあやしい宗教に帰依するということは、非常に分かりやすい形での、”他者からの制約・束縛”の導入です。しかしこのようになるためには、”いつか自分らしさというものを発見して、幸せになれるはず”と無邪気に信じられるオプティミスト(楽観主義者)でなくてはなりません。
あなたは宗教に幻想を求めるには、あまりにも”覚醒”しすぎています。
5.寂しさに耐えてきた強靭な精神
こんな”救いのない”あなたに、何かよき処方箋はないのでしょうか。
残念ながら、これは精神科の病気とはいえませんし、あなたの寂しさにまぎらす効果のある薬物も存在しません。
しかし、一つどうしてもお伝えしておかねばならぬことがあります。それは、この寂しさに耐え忍んできたあなたほど、強靭な精神を持つ人はそうそういない、ということです。
いい大人になって甘えるなと強く叱って欲しい気もします。
あなたほど甘えからほど遠い人を、誰が叱るもんですか!
むしろ誰かに甘えることができるようになる、ということはあなたの遠い目標にするといいでしょう。
それから、ほんのちょっぴりの自己陶酔も。(あなたになくて、太宰にあるのは、この自己陶酔かもしれません)
すぐには無理でしょうけどね。
あなたは、自分のたどってきた過酷な精神の遍歴に、もっと”自信”を持っていい。
これほどの体験をしたのだから、心の痛み・苦しみは、誰よりも分かるはず、と。唯一この点(心の痛み・苦しみの共感)において、今後あなたは”他者”を獲得することができるでしょう。
そこが、これからのあなたの出発点になるに違いありません。
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精神科医。
精神保健指定医・精神科専門医・日本精神神経学会指導医・東洋医学会(漢方)専門医
あいち熊木クリニック 院長
心療内科・精神科・漢方外来|愛知県日進市(名古屋市名東区隣)
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