東日本大震災・精神科情報支援体験記 ~震災ボランティアの新しいかたち~

2019年10月19日

1:はじめに

このたび編集部から「被災者の精神療法」というテーマを頂戴した。しかしながら私は、今回の大震災の直接的被害を受けていない名古屋市郊外で、精神科クリニックを運営する一医師である。これまでに大きな震災を体験したことはなく、また被災地にボランティアとして直接赴いたこともない。当然、「被災者の精神療法」について書くには分不相応である。
その代わりといっては何なのだが、微力ながら震災後精神科ボランティアにいくらか携わってきたので、そのことについて報告することにしたい。これは、これまでにボランティアと称されたものとは一風変わったものである。今後日本が同程度のカタストロフィに見舞われたときに、多くの人々がこのような形態のボランティアに乗り出していただけるといいのでは、との思いから提言するものである。
また、どのような災害ボランティアでも同じであろうが、私の場合も、時々刻々変化する現場の状勢にシンクロしながら、手探りで局面の展開を行っていった。そのため、何かの行動を思いつき決断するにあたり、迷いやためらいの連続だった。結果として行動したことのみ整序したところで、援助者自身の抱える緊迫感や苦悩は伝わらないであろうし、それでは今後似た状況に遭遇した方々のお役に立てるものとはならないだろう。そこで、そういった迷いやためらいの過程も、いちいち記すこととした。通りの悪い文章で読みづらさを与えることになるが、その趣旨をご理解いただけるなら幸いである。

2:精神科情報支援の実際

2011.3.11.の14時46分、未曾有の大地震が東日本を襲った(ただ私が、それを未曾有の事態であると知るのは、少し後のこととなる)。大地震が起こった時、私はクリニック午前診療を終えての昼休みであり、所用のため高速道路で車を走らせていた。それゆえ、その揺れに気づかなかった。帰院後も、詳しいことは知らぬまま、午後の診療に入った。
「どうやら大変なことが起きているらしい」と気づいたのは、インターネットにアクセスした午後9時のことである。地震の形は違うようだが、1995.1.17.に起こった阪神大震災のことが頭をよぎった。
私事であるが、ちょうど神戸を地震が襲ったとき、私は名古屋に居た。医師国家試験を目前に控えた学生で、この日の朝も早くから机に向かっていたのだった。幾ばくかの揺れを感じたが、“よくある揺れ”と思い、構わず勉強を続けた。この日の昼に、TV画面に映し出された神戸の情景を目の当たりにして、しばし呆然となった。その後、先んじて精神科医になっていた友人のM君は、被災地神戸で獅子奮迅の活躍をしたのに対し、何も貢献することのできない自分に対し、歯痒さを感じていた。その頃からである。もし大地震に遭遇した場合(もちろん大地震など待ち望むわけではないが)、その境遇において許される限りの貢献を何とか成し得よう、との思いを強くしたのは。

周知の通り、私の居住区である名古屋やその周辺は、近年中に東海・東南海大地震が起こり、多大な被害がもたらされるだろうと予想される地域である。そのため、この地域の居住者の地震に対する警戒は、他地域を凌ぐものだろう。私自身もそうで、普段の生活で地震というものが意識に上ることがまれならずある。実際に、私のクリニックが被災した時、私自身が大きなダメージを受けた場合と、私自身が何とか持ちこたえた場合の2つのパターンに分けて、クリニックスタッフがどう対応するかというマニュアルまであるのだ。
そのようなわけで、もし被災するならばまず第一に私自身と私のクリニックだろう、という想定しかしたことがなかった。また、現在の私には約650人の担当患者さんがおり、原則として彼らを一人で診、薬物処方を行なっている。そのため、彼らの健康管理についての責任を放擲することはできない。地震についてこれまでずっと心の備えを行ってきた私であるが、今回の東北の大惨事について関われることは何もないのかもしれない、という諦念から脱力を催しかけていた。その矢先、もしかしてtwitterやfacebookを使って何か援助できるかもしれないと予感し、光明が射したように思われた。

私は、今回の大震災に遡ること約1年前にtwitterのアカウント(地震時点での総フォロワー数:約20000人)を、また約2ヶ月前にfacebookのアカウント(地震時点でのfacebookページファン数:約850人)を取得し、精神科臨床について何らかの情報発信ができないか、模索してきていたのだった。しかし、双方のメディアについて大きな可能性は感じつつも、まだ未知の領域が多く、はっきりとした手応えをつかむことができないままだった。だがこの際、四の五の言っていられない。有事においては、時間との戦いになるのだから、まず理屈をこねるより、走り出さなくてはならない。その思いから、すぐさまtwitter上でハッシュタグ #jishin_kusuri(※コミュニティのようなものと考えていただけるとよい)を作成し、一心不乱に書いたのが以下の文である。これをfacebookページで掲載した。3月11日の深夜、23時42分のことである。

【拡散希望】 <東北地方太平洋沖地震(※後に「東日本大震災」も併記)・精神科薬物にかんする緊急相談室> を開設します。

(※2011.3.11. 相談の“場”として、twitterハッシュタグ #jishin_kusuri を作成しました。
お持ちのメディア(twitter・facebook・mixi・メール・FAXなど)で情報拡散願います)

現在、精神科薬物を服用中の方で、
1:薬を手に入れることができなくなった方、かなり不足してしまった方
で、かつ
2:主治医と連絡とれず、どう対応していいか途方に暮れている方
に対し、
facebookページ上と、私のtwitter(@arino_mama2 および @tetsuo_kumaki)および #jishin_kusuri において、簡単なアドバイスをさせていただこうと思います。

※1:このような状況においては、近所の内科や耳鼻科など身体科クリニックでも、これまで服用されている精神科薬物を投薬していただくことはできると思います。そのような方は、まずそういったクリニックへ行かれることをお勧めします。

※2:なお、このボランティアは、私の現在担当している650人のクリニック患者さんを診療する合間をぬって行うものであること(この方々の健康管理・維持をおざなりにすることはできません)、また私がいつもPCの前にいるのではないため、ご返答にタイムラグがあることにつき、どうかご了承願います。

※3:このたび、精神科相談の”場”として、twitterハッシュタグをなぜ、 #jishin_kusuri としたか、その意図を説明しておきます。
精神医療は本来、多元的に治療法(精神療法や薬物療法など)を導入をし、精神科医対患者さんという1対1の関係において、その患者さんの生活歴・既往歴・現病歴に十分に配慮しながら行うべきものであることは、いうまでもありません。しかしおそらく、今回の東北地方太平洋沖地震の現場では、そのような理想的な精神医療が展開できません。
このような状況下での私の考える”精神科ボランティア”とは、何はさておき「手当てを行うこと」です。それは、野戦病院において「とりあえず生き延びていただくこと」を目指すことになぞらえられるでしょう。
これまで患者さんと精神科主治医とが営々と築いてこられた“薬物のホメオスタシス”は、最大限尊重されなくてはなりません。しかし、それが壊れそうになるなら(また主治医と話すこともできないなら)、別の精神科医が至急立て直さなければならない、それも限られた資源(患者さんが今、お手持ちの薬)で。
また私自身については、自分の持ち場を離れることができないという制約もあります。
今私にできることは、再び構築されるであろう患者さんと精神科主治医との理想的治療関係・環境へのつなぎに徹すること、すなわち、その関係性に割って入らず、側方援助としての薬物調整をさせていただくこと、そのように結論づけたのです(精神科の薬のみが大事というのではないので、念のため)。
なお、この精神科薬物にかんする緊急相談室の開設提案にご賛同いただける精神科医の方がおりましたら、私に断っていただく必要はありません。ご自分がお持ちのfacebookページやtwitter上で、緊急相談室のボランティアを名乗り出ていただければ、たいへんありがたいです。その際、ハッシュタグ #jishin_kusuri をお使いください。どうかよろしくお願いします。

熊木徹夫(あいち熊木クリニック・精神科医)

そしてその後すぐに、twitter上で精神科医への呼びかけも行った。次のようなものである。

【拡散希望】 ow.ly/4deXO #jishin_kusuri #eqjp #saigai
<東北地方太平洋沖地震・精神科薬物にかんする緊急相談室>を開設しています。・・精神科医です。薬がなくなり、たちまち困る方がいます。同調される精神科医、ご協力を!

この呼びかけに応じ、この後24時間以内で十数人の精神科医から賛同を受けた。この反応の良さには正直驚いた。twitterのポテンシャルの高さに瞠目した出来事だった。「これから何か有益なことが果たせるかもしれない」と意を強くした。また、同業の精神科医からのボランティアの申し出に触れ、彼らの職業意識そしてモラルの高さを見るにつれ、本当に嬉しい気持ちになった。ボランティアの呼びかけを行うに際し、密かに独り相撲になることを恐れ、仮に一人になっても気力の許せる限り続けていこうなどといささか悲壮な覚悟をしていたのであるが、それは杞憂であった。
(私は最初の公約通り、精神科医個々人の活動を統握することも制約することもしなかった。その方が、facebookやtwitterではボランティアがうまく機能すると思ったからだ。いわばハッシュタグ#jishin_kusuriというコミュニティの場のみを提供したかたちである。最初のうちは、#jishin_kusuriに流れる情報を隈なく見届けていたのだが、すぐにそれは不可能になっていった。地震が発生して数日後、#jishin_kusuriは“精神科情報の公認ハッシュタグ”として周知されるようになり、最早私一人だけで管理できないほどの規模のものに成長していった)

ある程度、ボランティア精神科医が揃ってきたところで、次に被災者への呼びかけを行った。

【拡散希望】http://ow.ly/4deXO 精神科薬がなくなり、たちまち困る方、 #jishin_kusuri
つけてツイートを!当面最良の指針が得られます #eqjp #saigai

#jishin_kusuriをつけてtwitter上でツイートすれば(つぶやけば)、そのコミュニティ間で情報が共有されるという仕掛けである。すぐに、多くの方々から困っている現状がツイートされてきた。しかし、意外なことに当初の発信源は関東ばかりであった。(これについては後で事情が分かった。被災が極めて深刻な東北地方では、あらゆるライフラインが寸断されており、パソコンや携帯電話などほとんど使えなかったのだ)
「服用している薬があるのだが、諸般の事情から薬を処方してもらうことができなくなった。今持ち合わせている薬をどうやって服みつないでいけばいいのか」という問い合わせが大多数で、どれも切羽詰まったものだった。また「余震がひどいので、薬を服んで眠りこけてしまって逃げられないのではと不安を感じる。どうしたらいいだろうか」といった質問も多かった。

twitterやfacebook経由で寄せられるメッセージはあまりにも短く、たった一回のメッセージを見るだけで状況を判断し的確に意見することはなかなか難しいと感じた。そのため、しばしば追加質問を行った。具体的には、今持ち合わせている薬の種類と各々の錠数と受診環境についてである。ただ、これまで相談者が患者として主治医とどのように関わってきたか、どのような治療がどのような説明のもと展開されてきたか、といった治療の文脈については問う暇がなかった。もちろん、患者=主治医間の関係性に配慮することの大切さを理解していないわけではない。ただ窮地に追い込まれた患者さんたちには、短期的なものでもよいから展望を示すこと、すなわち、とりあえずの答えを与えてゆくことが何よりも大切だ。そのような信念に基づき、次から次にやってくる質問に、現在我々に与えられている情報から思いつきうる最良(と信ずる)の答えを提示し続けた。
(結局のところ、私個人だけで、70人程度の方々の質問にお答えした。相談過程はほぼすべてオープンにした)

ところが、毎日twitterをにらんで、私に投げかけられる質問を鋭敏に感受していると、およそ一週間で疲れ果ててしまった。このままでは、当初目指していた”細くてもいいから長く”援助をし続けることが難しくなる。そこで日々の診療の合間に絶えずtwitterに目を送ることは止め、1日2回だけtwitterのハッシュタグ#jishin_kusuriの集積情報を読むことにした。そしてその時だけ、集中的に回答を行うように心掛けた。
また、毎日twitterからの発信に触れていると、発信元が徐々に北へ北へと推移しているさまが伺えた。ライフラインの回復に伴い、被害の程度が重い被災地との情報交換が可能になってきた。それとともに、かなり深刻な事態が浮き彫りになってきた。自宅が流されるなどして、手持ちの薬がなく、またどこにいっても必要な薬物が流通していないケースが明らかになってきた。最初facebookページ<緊急相談室>を立ち上げたときに想定していない状況が、そこにはあった。このような場合、この薬を切らすと退薬症状が出現する可能性が高いので漸減すべし、その薬は頓服にして細々と繋いでいっても大丈夫、などというアドバイスは最早成立しない。困り果ててしまった。そこで思いついたのが次のようなメッセージである。これをtwitterで問うた。

【拡散希望】毎日、被災地から不眠の相談が届きます。そこで皆さんにお訊きします。薬なしで眠るため、どんな工夫をしていますか。 必ず#humin をつけてお答えください! #311care

精神科医療の専門家でない人々からも知恵を拝借しようという意図を込めたメッセージである。驚くべき事に、このメッセージに対する応答が40通近くも寄せられた。それもたった24時間以内にである。これを編集し、WIKI(ウェブブラウザからページの作成・編集が誰にでも自由にできるコンテンツサーバ。ブログと違って、時系列に縛られることはない)の形式で情報提供しようとしたのが、次のものである。

WIKI「こうすれば薬がなくても眠れます!(震災後緊急対策)」 http://ow.ly/5r475

もともと私には精神科薬物の「官能的評価」(平たくいうなら、主観的投薬体験および主観的服薬体験)を収集・編集してきた経緯があり、「適切な主観の集積が、臨床において大きな力となるのだ」と信じてきた。常日頃、集合知のもつ力を身に沁みて感じており、WIKIを用いてこのような活動を行うようになるのも必定であったのかもしれない。
ちなみにWIKIはそこにアクセスした人であれば、誰でも情報の改変が可能であるので、WIKIとして最初にアップロードした情報が完成形というわけではない。管理責任者は一応私ということになるのだが、なかにはとても面倒見がよい人がいて、自発的に管理を手伝ってくれている方もいた。しかし、その方は匿名での活動を行っているのであり、私でさえどこの誰だか分からない。そこがインターネット上の情報支援のおもしろいところである。

さらに時間が経過するにつれ、ASD(急性ストレス障害)が顕在化してくるようになった。今後、それが慢性的に推移し固着化していけば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていく懸念があった。ASD/PTSDについては、インターネット上でもかなり多くの情報が流れていたが、錯綜としていて、かえって混乱を招き人々の不安を増幅させる心配もあった。私に投げかけられる質問でも、明らかにPTSDを誤解しているケースが散見された。そのため、震災にまつわるPTSD情報を選別・整理し、正しく有益な情報を伝達する必要を感じた。そこで、先述したものとは別のWIKIを立ち上げ、再び集合知を活かすことを試みた。

【拡散希望】wiki「大震災PTSDサバイバル」http://ow.ly/4hPm6 #jishin_kusuri #ptsd_jp
今後予想されるPTSDについて、予防・治療・援助の観点から、情報・人智の集積を目指します。皆さん奮ってご参加を!

今回のような甚大な被害を受けた直後に、被災者自身が役に立つ情報やマニュアルを作り出すことは非常に難しい。そこで先人の知恵に行動規範を求めるのは、重要なことだと痛感した。そもそも、あまりの事態に途方に暮れているとき、これも実は“いつか来た道”なのだと感じられるだけでも、大きな救いになる。
このWIKIを見ていただくと分かるが、先にあった阪神大震災や中越地震などでの精神科ボランティアの活動実績や提言が数多く収載されている。被災地での体験は大層辛く苦しいものであったにもかかわらず、ボランティア活動を全うし、さらにこのような有益な情報を後世に伝承しようとされた方々には本当に頭が下がる。今回私たちが行っているささやかなボランティアについても、その活動内容がアーカイブとしてインターネット上に残される。それらが、現在進行形で苦しむ被災者の方々はもとより、未来の被災者にとっても、幾ばくかの助けになれば、と強く願う。

また、実際に薬が切れた(切れそうだ)ということで困り果てている方も、あちこちに出始めるようになった。私自身は自らのクリニックを離れることができない。このような状況にあって、何か行えることはないか。そこで考えついたのは以下のようなことである。

【拡散希望】 #jishin_kusuri #eqjp #saigai
東北・関東の精神科に受診中だが今愛知におり、被災・停電で薬が切れそうな患者さんは、あいち熊木クリニック 0561-75-5707 http://ow.ly/4eSUd  にご連絡を。臨時で処方引継ぎます

上記条件に該当する人はかなり限定されることもあってか、このツイートに応じて実際に来院した人は十数人とそれほど多くなかった。だがそのいずれの方からも「助かった。どうなることかと思っていたので」といった言葉をいただけた。私としては、このツイートを見た全国の精神科医有志に追随していただければ、という密かな期待も抱いていた。

3:精神科情報支援について必要な基盤

前章は、私が今回の大震災後に行ってきた情報支援の骨子である。実際支援者になってみて、純粋に善意や義侠心だけから情報支援を執り行うのは危険であると痛感している。以下に挙げるような“支援の枠づけ”が是非とも必要である。

1)支援行為に対する免責
今回かなり多くの精神科医とインターネット上で話し合うことができたが、ほとんどの方は「なんとか被災者の助けになりたい」と繰り返していた。その一方で「自分の行なった支援行為(医療者ゆえ、時にはかなり医療行為に近いことも行なわなければならなくなる)の結果、被災者にとって有害な事態を招来してしまうかもしれない。それが怖くて“援助したい”と手を挙げることができない。どうしても尻込みしてしまう」と言う方が多かった。
これを受けて「臆病すぎる。もっと果敢に事に向かわなくてどうする」ということはできないだろう。今回のような非常事態での医療活動を始めとする支援活動全般については、ある程度の免責を保証されるのでなくては、参加意欲はあるのに今一歩踏み出せないという医師が後を絶たなくなるだろう。これは国益に反すると思う。国が今後、有事にまつわる立法で医療者の免責についての項目を組み込んでくれるよう、切に期待する。

2)公開相談という形式の重要性
インターネット上での質疑応答は、原則として公開相談という形式で行われるべきだと考える。それは疑似診療と取り違えられるような誤解を防ぐためである。精神科の診療は本来、診察室というオフィシャルな場所において、精神科医と患者が名前を明かし合った上で、お互いの顔を見つつ執り行われるのでなくてはならない。匿名の二人(どちらか片方が匿名の場合もある)が、衆目にさらされないまま話し合いを行うと、インターネットという広大な仮想空間にあっても、容易に“密室化”し、場合によっては泥沼化する。公開相談は、相談者・回答者がさまざまな危険から身を守るため必要なことなのだ。
また、公開相談を行うことにより、一人の相談者と一人の回答者が意見交換を行っているだけだとしても、多くの人々がこれを見て何かを感じ、考え、意見を放つことができる。すなわち、双方向性が担保されうる。またそのような過程を経てゆくと、ある事柄に関心のある人々が集まったインターネット上のコミュニティにおいて、さまざまなコンセンサスが醸成されていく。これらにより、たった一回の質疑応答であっても、他者から検証・吟味され、そして伝播されることで、影響が大きく膨らんでいく。私は先程、70人と質疑応答を行ったと書いたが、それらは単に70人に対してだけのメッセージではない。その背後にいるはずの“同様の悩みを抱え困っている人々”に対してのものでもある。インターネット上の質疑応答とは、いわば悩みと回答の“雛形”であり、広汎に応用可能なものと捉えるべきだ。

3)思い切った“個人プレー”を抑圧しない
2)においては、相談者・回答者が自分たちの外部にいる人々と双方向性を維持しなくてはならない、と述べた。ただ目指すべきは、他者に顧慮し、自我を埋没させ、集団でまとまろうとすることなのではない。インターネット社会では特に、思い切った“個人プレー”を抑圧しないことが重要である。一般社会でもそうだが、インターネット社会であればとりわけ、これまでの常識をドラスティックに書き換えるのは、ある特定の個人であることが圧倒的に多い。そしてその彼がもたらした成果が魅力的なものであるならば、爆発的に伝播されていく。

また私は、先述したとおり、ボランティアに参加していただけた精神科医を管理・統制することはなかった。これは私自身が多忙を極め、マネージメント業務に携われないという物理的な制約があったせいでもあるが、専門家である精神科医達の矜恃・誠意・能力に賭けたせいでもある。このやり方は正解だったと思う。これほどのカタストロフィに見舞われたとき、皆我を忘れる。しかし中には冷静に次に打つべき手を模索し、建設的に調整を行える人がいるのだ。精神科医に限らずそのような人々が、社会の端々で忍耐強く働き、細部に魂を宿している。

4:精神科情報支援者が心掛けるべきこと

私は、前例が見当らない特殊なスタイルのボランティアを行うことになってしまったため、精神科情報支援者には何ができるのか、何をやってはならないのか暗中模索してきた。しかし、1ヶ月も経過すると、おおよそのことは分かってきた。私の気づいた“情報支援者の心得”を以下に挙げてみたい。

まず「全てを背負ってはならない」。大災害の爪痕を前にすると奮い立つ人も多いが、自分の今持ち合わせている体力・気力に充分配慮すべきである。援助は長期に渡る可能性もある。滅私奉公を旨とする人は、絶えず燃え尽きの危険があることを銘記しておくべきである。対策としては、欲張りすぎないことが大切である。自分一人でできる領域など限られている。自らができるところをどこかキチンとを見極め、さらに自分の持てる力をそこに傾注する。私の場合は、それが精神科患者さんの薬物の緊急調整だったわけである。
そして、四六時中援助のことばかり考えるのではなく、そうでない時間も意識的に作っていかなくてはならない。自らの本分として他にも仕事や家庭があるなら、それにかけるエネルギーも残しておかなくてはならない。今回、被災者は二日連続で眠れなくなったときに、精神的危機を迎えるケースが多かったが、これは援助者とて同様である。自分の睡眠は決してないがしろにしてはいけない。援助活動の基盤は、まず睡眠を十分に取ることにある。

また、インターネット上で自ら展開していきたい情報支援についてなるべく具体的な話をし、賛同し協力してくれる人を探すことも重要である。自分が苦手な分野だとしても、そこで力を発揮してくれる人は必ず居るものである。場合によっては“丸投げ”しても構わない。自分で何でも囲い込もうとすることの方が弊害が大きいように思う。

5:精神科情報支援、今後の展望

今回情報支援に関わるなかで、情報の流れとその特性について、いくつか気づいたことがある。まず、それらを挙げてみたい。
地震直後にチェーンメールで流言飛語が多く見受けられたということだったが、意外なことにtwitterでの流言飛語はそれほど多くない印象だった。仮に、火のないところに煙を立てようとするかのごとく情報を撒く人物が現れても、必ず複数の人々が「根拠がないではないか」「妥当性を欠く発言だ」と諫め始め、結局流言飛語となる前に掻き消されていった過程に多く遭遇した。twitterではかなりうまく“善意のバケツリレー”が行なわれていたように思う。

また、集合知の集積については、twitter・facebookとも大きな威力を発揮していたが、特筆すべきは、重んじられたのが必ずしも専門家や権威者の意見だけではないということである。説得力・感化力のある意見であるなら、それがとりわけ有名な人のものでなくても、時として爆発的に伝播していく様子を何度も目にした。私の運営するWIKI「こうすれば薬がなくても眠れます!(震災後緊急対策)」は、まさにそうした一般の方々の知の結晶である。

情報支援では、現場に足を踏み入れないため、ともすればヴァーチャルな感覚に陥りがちになるという欠点があることは否めない。しかし、TV報道で圧倒的な映像を見続けるだけよりも、現場に関わった人々が発するさまざまな角度・切り口からの肉声であるツイートも同時に受け止め続けることで、情報感受における偏向をある程度矯正できるように感じられた。また、ツイートの掛け合いで、被災者の声色・佇まいが浮き彫りになることも多く、twitterにおいては被災地とそうでない場所における温度差は意外ではあるがそれほど大きなものではない、という印象を受けることさえあった。この一体感は情報支援においては、その存立根拠となる大切なものである。
またこれはよく言われていることだが、TV報道と比較して、twitter・facebook経由の情報は圧倒的に速く、また細部にまで及んでいた。ただ、情報の仕分けについては、情報の受取り手にある程度の峻別能力が求められる。
そして、これは当然のことと言えるが、家族の生死・自宅や職場の損壊の程度に応じて、同じ被災者同士でも体験格差が実に大きかった。すなわち、被災レベルにグラデーションがあった。この体験格差を念頭におくとき、被災者を十把一絡げに論じることはあまり意味を成さなくなる。すなわち、普遍的に通用する災害マニュアルなど存在しえないということである。twitterは、ひとつのツイートが燎原の火のごとく伝播されることから、一見“素人発信の代替マスメディア”のようでもあるが、実際は感化力の強いツイートのまわりに多くの人々がぶら下がり、それ自体で微細なコミュニティを形成していると捉える方が本質的である。数えきれぬほどのミクロコスモスが有って、その各々でディテールを大切にした話し合いがなされている。マニュアルには成りえないこのような具象的で体験に根ざした言葉のどれかに、必ずや被災者にフィットするものがあるはずである。

ここまで、情報支援という新しい震災ボランティアの在り方とその可能性について論じてきたが、一点押さえておかねばならない大切なことがある。それは、支援の主役はあくまで被災地の住民(医療であるなら医療者)だということである。
現地にまで赴く支援者はもちろんとても重要な存在であるが、最終的に被災者の自己救済を支える“縁の下の力持ち”になることが一番望ましいかたちである。そして、情報支援者は現地支援者がまだ現地に到着できていない状況で、現地のインフラや被災者のニーズをリサーチし有用情報を集積・拡散すること、そして現地支援者が活動しやすいように“地ならし”をすることが主たる役割である。すなわち、情報支援者は現地支援者への”つなぎ”になることを目指せばよいのだと思う。
精神科医療は対面で行なわれることが最も理想的であるが、今回のような激甚な被害に見舞われたときには、とりあえず情報支援という次善の策を講ずることができる。そこが外科医療など援助者が被災者の身体に直接接しなければ行えないものとの決定的な違いである。今回の私の体験は、
被災時点で精神科から投薬されていた人々に絞っての情報支援であった。今後似た状況になった時、地震で新たにPTSDになった被災者のための側方援助、あるいは救援活動を円滑にするための知的サポートなど、情報支援にはさまざまな可能性があるだろう。後世の精神科医療関係者に、その継承発展を期待したい。

熊木徹夫
あいち熊木クリニック<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
TEL: 0561-75-5707)

<※参考>

2012年頭の辞:東日本大震災で「精神科情報支援」を体験して

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