道東「栗田民芸店」再訪の記

2019年10月19日

このシルバーウィーク、十二年ぶりに道東(北海道東部)へ旅に出ました。

定番の知床半島や摩周湖・屈斜路湖などはもちろん回りましたが、
この旅にはもう一つの隠れた目的があったのです。

それは「栗田民芸店」を訪れることです。

場所は、川湯温泉。

屈斜路湖畔になります。

十二年前の旅で、北海道の木彫店を探しまわり、やっと辿り着いた所です。

私は、木造りのものが大好きで、
それゆえあいち熊木クリニックも、
壁から天井から吹き抜け2階全面が杉貼りになっています。

各所に配したものも木彫品が大部分で、当院を訪れたことのある方は、
特に熊とフクロウのものが多いことに気づかれると思います。

木彫品は、見ているだけでも、触っているだけでも、
全く飽きることがありません。

その昔、大学時代より”屋久島通い”をしていた時には、
屋久杉の木彫品(特に木の壺)の魅力にはまり、
ふと立ち寄った工房で、
そこの木工職人さんと4時間も、”木彫談義”に花咲かせ、
木彫品の魅力・良し悪しの判別法まで教えてもらい、
最終的には値札がなくても値段が分かるほどの”目利き”になったほどです。

(あのときの職人さん、
通りすがりの若造の酔狂にお付き合いいただき、
本当にありがとうございました!)

それはともかく、あの時は
「北海道に行ったら、ぜひオンコ(イチイのことです。北海道での呼び名)
の立派な木彫を手に入れたい」と執念を燃やしていました。

私は、オンコのあの木目が細かく、飴色に輝く木肌がとても好きです。

岐阜県高山にも、有名なイチイの一刀彫がありますが、
私は個人的に北海道のアイヌの末裔の人々が彫る
素朴で荒削りなオンコ細工が好みです。

オンコは木目の細かさが示す通り、大変成長の遅い木で、
また北海道でも限られた地域にしか生えないため、
今では大変希少な銘木になってしまいました。

それゆえ、大ぶりのいいイチイを用いた彫刻もとても少ないのです。

栗田民芸店の入り口には、
顔いっぱい立派な白髭に覆われたおじいさんが、
あぐらをかいて座っておりました。

これがこの店のあるじの、栗田三郎さんです。

初対面なのにそうと思われない、
何とも懐かしい気持ちにさせられるような笑顔で迎えていただきました。

私が木彫に一方ならぬ興味を示すと、
三郎おじいさんはまるで久しぶりに帰ってきた息子に話すように、
ひょうひょうと自らが彫った作品について、語ってくれました。

各々の作品に込めた意図、
そして”この彫刻は簡単そうに見えるが実はとても難しい”
などといったような体験談など、ざっくばらんに。

私は、その語りと、温かい彫刻が佇む空間に、
どんどん魅入られていきました。

ひとつ、目が止まり、吸い寄せられたまま離れなくなった彫刻がありました。

これは、大きなオンコが
丸太のまま輪切りにされたものがベースになっており、
側面に木や蔦が這うように彫り出されており、
さらには表側に2匹の熊が木登りして遊んでおり
(これを見て「あっ、これはまさに”熊木”だな」と思いました!)、
裏側にはフクロウがひっそり佇んでいる、そのような作品です。

私の当時の財布事情ではかなり厳しい値段でしたが、
こんな躍動的で魅惑的な木彫にはそう出会えるものではないと自ら言い聞かせ、
結局名古屋に持ち帰ることにしたのでした。

(この彫刻は現在、あいち熊木クリニックの待合の奥にある本棚の上に、
恭しく置かれています。

飴色の木肌は、患者さんに触られることで、さらに光沢を増しています。

本院の守り神的な存在です。笑)

それから、もうひとつ目に止まったものがあります。

槐(えんじゅ)というとても硬い木があるのですが、
その木がYの字に枝分かれしているところをうまく使って、
一羽のフクロウがまるで槐の木の窪みにストンと収っているような、
気取りのない素敵なものでした。

「これもぜひ売って欲しい」というと、
三郎おじいさんは「これは売り物ではない。試作してみただけのものだからな」
と照れくさそうに言うのです。

確かに他のフクロウと比べると、かなり荒削りです。

しかしそれゆえ、今にも槐から飛び出してきそうな迫力に溢れているのです。

こんな木彫は他では見たことがなかったので、「どうか・・」と哀願しました。

すると「しょうがないね。あんただから譲ってやるか」と言って、
結局かなり安い値段で譲り受けることになりました。

槐というのも、とてもおもしろい木です。

昔は、数寄屋造りの床の間に磨き丸太としてよく用いられた銘木ですが、
今の日本人の好みに合わなくなってきたためか、
近頃はあまり見かけなくなりました。

硬すぎて細工が難しいこともネックとなっているのでしょう。

槐は白太(しらた)と赤身
(あかみ。というものの、実際の色は灰色~焦げ茶)
のコントラストが際立っており、
この特徴を活かしたフクロウは三郎おじいさんの真骨頂だと感じます。

私が買い求めたフクロウもご多分に漏れず、この特徴の活かし方が見事です。

結局、これら2つの木彫を連れて帰ることになりました。

当時、まだ自宅が狭いマンションで、この名品の置き場に困りました。

陽の目を見たのは、あいち熊木クリニックを開院してから。

件のフクロウは、いちょうの間(熊木の診察室)のいちょうテーブルの上に、
私のマスコットとして、いつもそばに居てくれています。

時々、子供のおもちゃになりますが、
コレ、触りたくなる気持ちが私にもよーく分かります。

翻って今回の旅。

再び帰還した栗田民芸店は、
薄暗く、しーんと静まり返っていて、どこか寂しそう。

声をかけると、奥さんが出てきてくれました。

しばらく話して後、「三郎おじいさんは?」と私が尋ねると、
「今春亡くなった」という返事が帰ってきました。

その瞬間、頭が真っ白になり、
なぜだか「間に合わなかったか・・」という思いで一杯になりました。

「間に合わなかったか」などとは変な話です。

どのように亡くなられたか、知る由もなく、
また闘病されているなどと仄聞し、急いで駆けつけた
というわけではないのに、です。

でも私自身の勝手な考えですが、
まだ三郎おじいさんは私を待ってくれているような気がしたのです。

店内を見渡してみると、
三郎おじいさんの作品(息子さんの作品もありますが)の山。

よく見ると、かつて私が手にとって愛でた幾つもの作品が、
まだそのまま置かれていて
(不思議なことに、どれもこれも、よく覚えているのです!)、
まるで12年前にタイムスリップしたかのようです。

たった一つの違いは、あるじがこの世にはもういない、ということ。

途端に、店全体が
三郎おじいさんの形見の山であるかのように見えてきました。

私は慎重に作品を選定し、
いくつかの槐の熊とオンコのフクロウを買い求めました。

三郎おじいさんの熊は、
大変珍しい右吠え(右に向かって歩きながら吠えている)のもの。

これは、普通に修練を積んでも彫れないのだそうです。

フクロウも、とても味があっていい。

触りながら、眺めながら、
今は亡き職人の魂の篭った彫り跡を感じる時、なぜだか震えを感じました。

三郎おじいさんと彫り跡を通じて共鳴したのかもしれません。

彫刻は不思議なもの。

あるじはなくても、その肉体の一部が、
あるじの意志を孕みながら、永遠に残されるような気がするから。

たった一度しか会っていないはずの三郎おじいさんが、
ずっと私のこころのなかに居たのは、
きっと彫刻という作品が介在していたからでしょう。

私はまるで”形見分け”してもらったような気持ちになりました。

奥さんと息子さんから丁重なお見送りを受け、
ここを再訪することは果たしてあるかとぼんやり考えていました。

私にとってとても大切な場所。

でも、そっと封印しておきたいような場所。

今も、あの場所に再度立ったことに、現実感が伴いません。

手元に残る彫刻に触れながら、
これからもいろいろ考えていくのだと思います。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック
<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
:TEL: 0561-75-5707: 
www.dr-kumaki.net/ )

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