「もっと“だろう運転”しなくては」~強迫神経症者が抱える安全運転のジレンマ~

2022年5月31日

先日、自動車教習所で免許の書き換えを行なってきた。
そこでは、ドライバーが交通事故を起こさぬように注意を喚起するためのビデオが用意されており、ご多分に漏れず私もそれを見ることになった。
そのビデオ鑑賞の直後、教習所の教官がいつもながらこのように言ったのである。
「“だろう運転”は絶対いけません」
“だろう運転”とは、「きっと相手が止まってくれるだろう」「きっと誰も出てこないだろう」と勝手に予測し、ひとりよがりな運転をすることを指す。
さらに教官は「これ以上ないほどに丁寧に周囲を確認し、慎重に運転することがドライバーの責任」と言った。

確かに、このような指導方針が一貫してあるから、路上のいかなる“ケアレスミス”も全てドライバーの不注意からくる過失なのであり、現に交通法規はそのような前提で運用されている。私自身、これまで20年間運転してきて、ヒヤリ・ハットは数度経験している。そのような状況に遭遇した直後、背筋に冷たいものが走る。

昔は“若気の至り”でスピードを出したこともあるが、運転経験を重ねるにつれ、より安全・安定を指向するようになってきている。
ただ、いかなる飛び出しにおいても事故を回避する自信など、今もってない。これまで大きな事故を起こさず、巻き込まれずに済んだのは、運が良かったからだと心底思っている。

私が運転についてこのようなことを改めて考えたのは、診察室で“運転中フリーズしてしまう”患者さんに複数遭遇したからである。

彼らは一様に次のようなことを言う。
「自分が運転しているときに、何かミスを犯してしまう気がしてならない。いや、もうすでに犯してしまっているのかもしれない。運転の途中、誰かを轢いてしまったのではないか、不安で居ても立っても居られなくなり、確認のため引き返したことも、一度や二度ではない」

このような訴えをする患者さんで程度のひどい人は、強迫神経症(強迫性障害)といってよく、精神療法や薬物療法の適応になる。

強迫神経症の患者さんは、不確定な未来に対する不安が人一倍強く、その不安を緩和するため、ありとあらゆる調査・予測を行ない、しらみつぶしに不安材料をを潰してゆく。このようなタイプの方にとって、運転はひどく困難な課題である。ある地点に向けて車を発車させることには、まるで足のつかない深海を次の島目指して泳ぎ出すような決死の覚悟を要する場合さえある。

私はこのような人に、あえて次のような言葉を伝える。
「もっと“だろう運転”しなくては」
この言葉を聞いた患者さんは、びっくりし目をむくことが多い。
一般社会の常識と、まるで逆の提案をしているわけだから。

実は、確認行為にがんじがらめになっていては、運転など到底なしえない。
運転中さまざまなところに目を送る必要があるものの、特に注意をすべきところとそうでないところがある。その注意分布には“濃淡”があって、その淡いところで上手に注意を抜くことのできる人が、本当に上手いドライバーである。何もかも注意を払おうとすると近視眼的になり、かぶりつき運転になって、肝腎なものを見落としてしまう。

そして未来予測においても極限の安全を追求すると、車を1mも前に進めることができなくなる。
運転行為はその瞬間瞬間に、より確度の高い“だろう”を想定し、勇気を持って次の局面に滑らせていくことが本当に重要といえるのではないか。

つまり、運転行為に絶対の安全はない。
その絶対の安全を希求する強迫神経症の患者さんは、ジレンマに陥り、運転席において竦んでしまうのではないか。すなわち強迫神経症者は、“運転における絶対安全”の幻想について、誰よりも覚醒しているリアリストなのだ。

強迫神経症者の抱えるこのような内実・苦しみを現実社会の要請に摺り合わせていくことも精神科医の仕事のうちなのかもしれないが、なかなか難しいことだと感じた次第である。

*熊木徹夫のYoutubeチャンネル『うんぷてんぷ : 精神科医・熊木徹夫に訊け!』では、記事の要点や、追記にあたる説明を、熊木徹夫自身が解説しています。
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強迫性障害|もっと“だろう運転”しなくては!?|うんぷてんぷ : 精神科医・熊木徹夫に訊け!

<※参考>
『トンネルに入りゆく恐怖』 (「パニック障害」についての臨床相談)


それは「拒食症」ではなくて、「嘔吐恐怖症」です ~嘔吐恐怖症、その原因と治療~

『体震わす電車運転士』 (「強迫神経症」についての臨床相談)

イップスの治療 ~競技人生、崖っぷちからの生還~


「セロクエル錠(クエチアピンフマル酸塩)で、 下痢型IBS(過敏性腸症候群)の症状が消えた」 という”ももさん”に対する回答 ・・(※IBS(過敏性腸症候群)についての、精神科薬物・漢方薬の小解説)

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