故・鈴木茂先生を悼む

2019年10月19日

こんにちは、熊木です。

私たち(熊木徹夫・水谷雅信)の恩師である
故・鈴木茂先生について触れたいと思います。
(先生は、2013.7.18.に永眠されました)
私たちが名古屋市立大学の卒業を控えていた頃、
長期休暇を利用して、
幾人かの精神科医の先輩の診療所を訪問することにしました。

そのなかのお一人が、鈴木茂先生です。

先生の著書に触れ(当時は難解すぎて歯が立ちませんでしたが)
「ぜひ一度お目にかかり、診療の場を共有させていただきたい」
と希望して、二人で浜松の静岡県西部医療センターにおじゃましたのです。
先生は東北大学医学部のご出身で、
名古屋市立大学精神科医局に入局されたのでした。

当時の名古屋市立大学精神科は、精神病理学の牙城で、
木村敏教授・中井久夫助教授を頂く黄金時代でありました。

鈴木先生の同期入局が、私のその後の上司となる中里均先生、
それに滝川一廣先生などという錚々たる面々で、
互いに研鑽されていたとききます。
(その頃の名古屋市立大学については、鈴木先生の以下の本に詳しいです。
『境界例vs.分裂病―言語と主観性の臨床精神病理学』
http://goo.gl/VsTZxB  )

話を戻します。

静岡県西部医療センターでの見学は、一泊二日でした。

診療の場面を見せていただき、症例検討会にまで臨席させていただきました。

鈴木先生は言葉数が多い先生ではなく、
ぼつっと重く響く言葉を発せられるのですが、
時にそれは箴言のようで、じわじわ心に届き、うむと考えさせられるのです。

一日中考えさせられることばかりで、頭がへとへとになりましたが、
それでも大層な充実感が漲っており、夜遅くまで頭は冴えたままでした。
夜は、浜松の街に連れ出していただきました。

おいしいものを食べ、おいしいお酒を飲んで。

教えていただくだけでもありがたいのに、
こんな歓待をしていただき、二人して恐縮しておりました。

そこで「初対面で、一介の学生でしかない我々に対し、
どうしてここまでのことをしていただけるのか」と問いました。

すると
「昔、私も先輩によくしていただいたんだ。
それで今がある。
君達にこうすることは、当然のことなんだ」
と、少し照れながら(私にはそのように見えました)おっしゃいました。
この夜のこと、そしてこの言葉を、私は忘れたことはありません。

綺羅星のごとく輝く精神科医の先輩方の系譜を継ぎ、
伝承するものとなりたい、
いや、ならなくてはならないと強く思いました。

これは単なる憧れというより、責任という意識に近いです。
近頃はちらほら、精神科医の後輩が訪れてくれるようになりました。

そして食事の席で、かつて鈴木先生から戴いたこの言葉を、
そのまま後輩に告げます。
(そして、鈴木先生との出会いについて、お話するのです)
鈴木茂先生、本当にありがとうございました。

どうぞ安らかにおやすみください。

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<愛知県日進市(名古屋市東隣)。心療内科・精神科・漢方外来>:TEL:0561-75-5707: https://www.dr-kumaki.net/ )

 

<※参考>

2015年年頭の辞: 「やっと、間に合った」

2016年年頭の辞: 「三郎おじいさんのフクロウ」

故・岩田勲先生との洛星高校演劇部での思い出(追悼)

ありがとう、我が青春の原節子